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vendredi 12 août 2005

Commentaires

nullpo

えーと、このエントリーの言いたことは、
「言っている事に自身が無いので『公正な第三者』に担保して欲しい」
という、ことなんでしょうか?

サスケット

簡単ですよ。
故に難しいとも言えるのですが。

相手がそれで十分だと思えばいいんです。これも結局ネットに限らない社会常識的な話ですが、別にあらゆる全ての事柄に職業裁判官のような中立な第三者の裁定が求められる訳ではないということです。

相手が納得できる、あるいはせめて否定できない根拠を持ってくる。
無論否定できなければそれらの全てが正しい、というワケではありません。
しかし根拠の誤りを指摘できないのに、「理由はいえないがおまえの意見は納得できない」「否定は出来ないが納得もできないから証明になってないない」なんて愚かな感情論に過ぎませんからね。そんなものは切り捨てて構わない。
#ただし根拠と言う名のアゲ足トリの泥仕合になってしまう可能性もゼロではない

職業裁判官などいないあたりまえの状況で、参加メンバーだけで納得しようとするなら「誰からも異論が出ない」、とまあこの程度で充分でしょう。
何故かって?だって誰もが異論を出さず納得していますからね。

朱 苗牟さんも言ってますけど、弁護士さんて一般社会ネタに疎いんですかね?
頭に公正がつくどころか、付かない第三者すら存在しない状況だって多々あると言うことをお伝えしておきましょう。
ま、例えば仲間内でテケトーに話している時だって、根拠も何もない捏造出しても当然笑われるので「証明」は行います。

A「ニュースで言ってた」
B「へー」

とか。そこで、Bが納得できないなら続けましょう。納得できない理由―Aが否定できないような根拠を出してくるとかですね。

A「ニュースで言ってた」
B「いや、その情報元朝日新聞だから誤報だったってNHKが」
A「へー」

本来だったら「なんで朝日新聞だと誤報になるのか?」等といった異論がA君側から出るのでしょうね。そこまでしないと厳密な意味で証明にはなりえない。
でもA君が朝日新聞だからで納得した場合、これ以上証明に手間をかける意味はないわけです。所詮雑談ですし。

要するに、「証明」に必要とされる厳密さは求められている状況で変わる訳で、
小倉さんの言うように資質だの制度だのみる前に、「どんな資質や制度が必要か?」という判断をすべきでしょう。
おそらく一般の人は無意識のうちにやってることだと思うのですが(軽い話題なんか特に)。

セキュリティや匿名の話題でもありましたが、こういった…なんというべきでしょうね、コストパフォーマンス?の問題だと思いますが、どうも小倉さんは上ばかり見て満足してしまっているようで、状況に応じてテケトー(適切で妥当のほう)に変動させると言う考え方が必要だと思います。

それから、話がずれるので詳しくは続けませんが、話をずらされないために簡単に触れておくと、「証明」と「決着」は別物です……あいや、あたりまえのことなんですケドね。
念のための保険と言うか、後だしじゃんけんだと言われないためのちょっとした担保と言うか……(笑)

nanashi

とりあえず実際にやってみたらいいんじゃないでしょうか。小倉さんが必要にして充分であると考える証明を、実際に。
前のエントリを具体例に挙げて言うと、8/11のPM08:49にU-meさんが書かれたことですが

>・若隠居氏のブログの閉鎖の原因がコメンツスクラーム!である根拠
>・そのコメンツスクラームがネット右翼によるものである、と思った根拠
>・ネット右翼とはどのようなものであるととらえているか、という小倉さんの説明

↑これなど格好の素材ではないでしょうか。
なにぶん小倉さんは(ログを貼るなどの)根拠を一切挙げておられない(証明がない)ので、

>若隠居氏のブログが「ネット右翼」のコメントスクラムにあって閉鎖されてしまいました

という小倉さんの主張の真偽を確かめようもありません。
そして当然のように、前エントリに最初に付いたコメントのそのまた最初の文は、

>今となってはgoogleのキャッシュも残ってないから確認のしようもないけどというかこのエントリ自体それが前提なんだろうけど

↑というものでした。
うわあ。
……ええ、いやその。まずやってみましょうよ、証明。裁判の喩えとかをするのはそれからでも遅くはありません。
小倉さんは今回のエントリの締めくくりで

>ネット上での議論の場合、誰にどのような心証を抱かせると「証明がなされた」ということになるのでしょうか。

↑とおっしゃってますが、まだ始まってもいませんよ、証明は。
「その証明は不十分」「納得できない」などの以前の段階です。

頑張ってください。

Мышкин

>小倉氏

少し状況が違うのではないでしょうか。裁判では既に何らかの出来事の合法、非合法を問題にしたり、損害賠償をしたりするわけで、つまりは裁判(議論)の勝敗はそれだけに留まらず何らかの法的措置ですとか、賠償の支払いですとか、懲役ですとかそういうことが実行されるわけですが、ネットの議論で勝とうが負けようが基本的にどうということもないでしょう。

ところで、ネット以外の、かつ法廷以外で「証明」の成否を判断するのは誰なのでしょうか。そしてその人は資質や中立性が保証された人なのでしょうか。

小倉秀夫

 ブログのコメンテーターの方々は、匿名であるが故に、中立性も資質も制度的に担保され得ないのです。

 陪審制なり裁判員制なりが採用された社会において、陪審員なり裁判員に関する情報が弁護人や検察官に開示されないというのは、私の感覚では「ありえない」ということになるのですが、ブログのコメンテーターの方々を「証明」の成否の判断主体とするのは、なんだかそれに近い感覚です。

 特に、自ら手を挙げる人に「証明」の成否を判断させるというのは、中立性を欠く可能性が、そうでない場合に比べても高いのではないかと思います。

朱 苗牟

どちらかといえば「数学」的な意味での証明じゃないですか?

「~は△△で、だから××だ」と。

ネット上の議論を必ずしも法律やら裁判がらみに考えるのはどうかと思いますが。

で、その過程に問題があればまたツッコミが入るわけですけどね。
それを「コメントスクラム」なる用語で呼ぶか、はたまた単に「論理の破綻に対する指摘」と呼ぶかは別として。

Мышкин

究極的には「オーディエンスに」でしょうね。それに大失敗した場合、「コメントスクラム?」なる現象がおこるのかもしれません。しかしそれゆえに、コメントを寄せる人々には思想的共通項も多くなく、組織的でもなくなるように思われるところです。共通項は

「ある人物のある論に問題があると判断した」
「そもそもある人物のある論を見ていた」
おそらくたったこれだけです。共通項が少ないので、逆に該当する人数は爆発的に増加する可能性をはらみ、結果として激しく燃え上がる、と思うのですがいかがでしょう。

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