遅い夏休みをとるべく旅行先を検討中ということで、ガイドブックをちょっと読みあさっていました。その中で、気になる記述を見つけました。
アンドレア・シュルツ-ピーブルス他「ロンリープラネットの自由旅行ガイド ドイツ」45頁によれば、
ドイツ人とは何かという問いには様々な複雑な思いが交錯する(ネオナチが右翼集会で叫ぶキャッチフレーズでもある)"ドイツ人であることを誇りに思う"と口にしようものなら疑惑の目が向けられる。とのことで、「日本人であることを誇りに思う」なんて公言してしまう人たちや、それでは飽きたらず他人にも「日本人であることを誇りに思う」ことを強要しようなんて人たちが大手をふるっている日本は、そりゃ米国ほどではないにせよ、立派に右傾化しているではないかと思ってしまいます。
私たちは「○○人であること」によっては何らの社会的な貢献もしていないわけだし、「○○人であること」は何らの才覚も能力も資質も実績も担保していないのだから、「○○人であること」なんかを誇られてもなんだかなあという気持ちになってしまいます。どうせ自分のことを誇りに思うのであれば、自分が他人のため、社会のために、何かを成し遂げたことを誇りに思えばいいと思うのです。
ですから、教育基本法を改正したりなんかして「日本人であることを誇りに思う」ように子供たちを教育しようという意見に対しては、「そんな安直なことで自分を誇る、他力本願な人間に子供たちをしないでくれよ」などと私などは思ってしまうわけです。偉業を成し遂げた△△さんと自分が同じ○○人であることは自分の価値を高めるものでは全くないのだから、そんなことで自分の価値が高まったような錯覚に陥らないように諭してやること、そして「○○人であること」に安住しようとするのではなく個々人が「自分で自分を褒めてあげ」られるよう素敵なことを成し遂げるべく研鑽を積むことが大切なのだと教えてあげることこそ教育現場では求められるのではないかと却って思ってしまうくらいです。
お話盛り上がってるところ失礼します~。
エントリーの話題に戻して・・・、
>小倉さん
>偉業を成し遂げた△△さんと自分が同じ○○人であることは自分の価値を高めるものでは全くないのだから
私は、これはどうかなーと思います。
例えば、「サッカーでゴールを決めた中田さんと自分が同じ日本チームであることは自分の価値を高めるものでは全くない。だから応援なんて無駄、おまいらも練習しる」なんて論法が通じるかどうか、です。
多かれ少なかれ、『価値を高めるものでは全くないようなモノ』に依存する人が多いというか・・・そんなところって、人間には自然にあると思うんです。
熱心な応援をするファンは、居ていい。
むしろそっちの方が人間の感情としては自然だと思う。
ただし、重要な事として、熱狂のあまりフーリガンになっちゃいけない。
対象が何になっても(例えば『国』になっても)、そういうことだと思うんです。
あと、基本法みたいなもので日本人を誇ることを定めるならば、フーリガンみたいになるような類の事を戒めるような文言も欲しいなーと思います。
(※法律論として妥当なのかどうかは置いといてー;)
Rédigé par: りんご。 | dimanche 25 septembre 2005 at 14:09
あれ?「訴訟が二度手間にくぁwせdrftgyふじこlp」とかいう話が過去に何度も出ていたと思うんですが…
今読み直してみると、どうもプロバイダ責任法施行以来、発信者情報は別個の訴訟なしに開示されうるというような、そういう文面に見えるんですが…
法改正いらない?
Rédigé par: Мышкин | dimanche 25 septembre 2005 at 01:54
>「自虐史観に満ちている」とか思っている人はいません。そんな立場の人はいません。ましてや貴方がひたすら思い込んでいる、何かを「隠そう」としている人とかもいません。単に正しい歴史を子供達に教えようとする人たちがいるだけです。隠してどうするんですか?教科書に嘘を書くことになりますよ。貴方の思い込みベクトルに沿う形で言わせていただくなら、教科書に嘘を書こうと努力している人達がいるということになりますよ。いいんですか?
隠したからと言ってウソを書くことにはならないでしょう。
Wikipediaに書かれているものを見ると自虐史観とは「自国の歴史の負の部分をことさら強調し、正の部分を過小評価する歴史観である」とのことです。これは「負の部分」と「正の部分」の分量バランスの問題なのか表現的な問題なのか分かりませんが、自虐史観を克服するため、つまり「正の部分」を「負の部分」と同等かそれ以上に過大評価するためには、「負の部分」の分量を減らすか、「負の部分」を喚起するような記述表現を減らすかする必要があるわけですが、わざわざウソを新たに盛り込む必要はないでしょう。
読んだことはありませんが、藤岡信勝氏の「汚辱の近現代史」という本があるそうですが、そのレビューページがありました。
http://www.tatsuru.com/columns/simple/05.html
これによると藤岡氏はその著書で「人間の暗部を早熟的に暴いて見せても特に得るところはない。暗部に目をふさぐべきではないという議論もあるが、そういう知識は、大人になる過程で子どもは自然に身につけていくものである。」と述べておられるようです。この暗部が何を指すのかはこのレビューだけでは今ひとつ明確に分かりませんが、少なくとも「暗部」を隠そうとしているわけですよね。
この藤岡氏は「『自虐史観』の病理」という本も書いておられるようですが、目次は以下のようになっています。
1 教科書に見る「自虐史観」の病理
2 「慰安婦」問題に見る「自虐史観」の病理
3 マスコミが煽動する「自虐史観」の病理
4 教育現場と市民団体の「自虐史観」の病理
5 「自虐史観」を超えて
藤岡氏にしてみれば「自虐史観に満ちている」と思っていそうなものですが違うのでしょうか。
Rédigé par: 福田 | vendredi 23 septembre 2005 at 05:42
>しかし平田さんは「あったことはあった、なかったことはなかったと書いてあるものを作ろうとしているに過ぎません」と述べていらっしゃいますよ。
だから思い込みはいい加減にしてくださいと言っています。
>その字句だけ抜粋すればそうでしょうね。でもそういう言葉尻の揚げ足取りというのはあまり意味を感じません。
という貴方の言葉を念のため引用しておいて言いますが、
歴史というのは過去のことなので間違って認識されることもある訳です。実際に歴史の教科書は常に修正されています。たくさんの人が苦労して何とか正しい歴史を子供達に教えようとして努力しています。「あったことは・・(後略)」という私の言葉は単に正しい歴史を子供達に教えようとするものを作ろうとしているに過ぎないと言っているだけで
>「旧来の教科書は自虐史観に満ちているから新しい教科書を作ろう」としている立場の人たちのご説明ですよね。
などという「自虐史観に満ちている」とか思っている人はいません。そんな立場の人はいません。ましてや貴方がひたすら思い込んでいる、何かを「隠そう」としている人とかもいません。単に正しい歴史を子供達に教えようとする人たちがいるだけです。隠してどうするんですか?教科書に嘘を書くことになりますよ。貴方の思い込みベクトルに沿う形で言わせていただくなら、
教科書に嘘を書こうと努力している人達がいるということになりますよ。いいんですか?それで。
「自虐史観」なんて全く関係ありません。具体例なんかも全く関係ありません。
貴方は一旦は認めたわけですから、
>>「過去の歴史に汚点があること」を「隠す」ような教育
などあり得ないし、隠そうとしている人などいないことを貴方のコメントで訂正してください。
Rédigé par: 平田 | vendredi 23 septembre 2005 at 04:55
>いったい誰が貴方のコメントを受けないといけないと決めたのでしょうか?
いえ、別に私のコメントに沿う必要はありません。現に私の意図とは全く違うベクトルで平田さんともこうやって質疑応答を交わしているわけですから、それはそれでありだと思いますよ。
>知らないようにするのと、隠すというのは意味が違います。
その字句だけ抜粋すればそうでしょうね。でもそういう言葉尻の揚げ足取りというのはあまり意味を感じません。まあそういうスタイルなのでしたら無理には止めませんが。
>人の意見の場合、逆が必ず真だとは限りません。確認もせずに人の意見を忖度するのはいけないことだと教わりました。
この場合、確認する必要はないと思います。ご本人がそのようなご意見を強く認識なさっているかどうかは重要ではありません。あるロジックには必然的に到達しうるだろう帰結が想定可能ですから、その帰結を問題化することでロジックの正当性を問う、というやり方はそんなに特殊なやり方ではありません。
>誰も、どこでもやろうとはしていないということを認めていただいただけで我慢しようと思います。
平田さんがそうお考えである、という程度にしか認識していませんよ(笑)。
>何度も言いますが、「なかったことが書かれているから」「自虐史観である」と主張したことはありません。
しかし平田さんは「あったことはあった、なかったことはなかったと書いてあるものを作ろうとしているに過ぎません」と述べていらっしゃいますよ。これは「旧来の教科書は自虐史観に満ちているから新しい教科書を作ろう」としている立場の人たちのご説明ですよね。「旧来の教科書は自虐史観に満ちているから新しい教科書を作ろう」としている立場の人たちは「あったことはあった、なかったことはなかったと書いてあるものを作ろうとしているに過ぎません」から、それを達成できれば自虐史観を克服できると考えている、というロジックになりますね。つまり旧来の教科書では「なかったことが書かれており、あったことが書かれていない」、即ち「自虐史観」ということになるのですが・・・。
Rédigé par: 福田 | vendredi 23 septembre 2005 at 04:20
>こりきさん
>それを「聞いたことがない」などとよく言えたものだと。単に情報に疎いだけではないかと福田氏に言っているだけ。
私もそう思います。そのとおりです。
>福田さん
何度も言いますが、「なかったことが書かれているから」「自虐史観である」と主張したことはありません。歴史には間違いがあり、教科書は常に修正されています。(それは物理など他のものでもそうだと思います)それと自虐史観とは全く別物です。何度も言いますが、私が問題にしているのはそういうことではありません。
Rédigé par: 平田 | vendredi 23 septembre 2005 at 02:16
>私が平田さんに例示を求めたのが間違いでしたね。
そうですね。間違いが1つ増えましたね。
>少なくとも平田さんのコメントは私のコメントを受けていないことになりますね。
いったい誰が貴方のコメントを受けないといけないと決めたのでしょうか?
>いえ、アキバKBさんのロジックから導き出せる帰結です。(中略)『過去の歴史に汚点があることを知らないようにする』=『嫌いにならずにすむ』というロジックが導き出せるわけです。
知らないようにするのと、隠すというのは意味が違います。それに、人の意見の場合、逆が必ず真だとは限りません。確認もせずに人の意見を忖度するのはいけないことだと教わりました。
>「自虐史観」の別の定義を新たに「知った」
なんて私は教えていません。
とにかく
>>「過去の歴史に汚点があること」を「隠す」ような教育
なんて、誰も、どこでもやろうとはしていないということを認めていただいただけで我慢しようと思います。ただし、後から見に来た人も分かるように貴方自身のコメントできちんと書いてください。
Rédigé par: 平田 | vendredi 23 septembre 2005 at 02:04
>小倉先生
福田氏は次のように書いている。
>むしろ私は「従来の教科書は、なかっ
>たことが書かれているから自虐史観である」
>という平田さんのご主張こそ聞いたことがなかったので、
福田氏が聞いたことがないというから、具体的事例を指し示したまでのこと。
先生が書かれている通り、この手の問題はネットでも腐るほど論じられているし、TVでも取り上げられたこともある。それを「聞いたことがない」などとよく言えたものだと。単に情報に疎いだけではないかと福田氏に言っているだけ。
Rédigé par: こりき | vendredi 23 septembre 2005 at 01:18
>小倉さん
私が平田さんに例示を求めたのが間違いでしたね。失礼致しました。
Rédigé par: 福田 | vendredi 23 septembre 2005 at 00:57
従軍慰安婦論争は、論じるところがいくらでもあると思いますので、ここではやめてくださいね。
Rédigé par: 小倉秀夫 | vendredi 23 septembre 2005 at 00:49
>どこが筋が通っているの具体的に示していただけますか?
↓
どこが筋が通っているのか「差し支えなければ具体例をご教示頂けると幸いです。」と慇懃無礼に書くと、イライラが増します。
Rédigé par: 佐藤 | vendredi 23 septembre 2005 at 00:39
>福田さんがそれなりに筋の通った主張をされている
どこが筋が通っているの具体的に示していただけますか?
私は福田さんに「隠そう」としている「汚点」はどこなのかを質問しました。それに対してお答えがなかったことで一部ではなく全てを隠そうとしていると認め、さらに次には「隠そう」としているなどということは妄想であることを認めたうえで、論点をずらして他の方が自分の間違いに気が付かないようにしました。
それはいつものことなので我慢します。しかし、もうひとつの間違いは未だに認めてもらっていません。
Rédigé par: 平田 | vendredi 23 septembre 2005 at 00:30
>これが既に間違っています。受けてないわけです。いつものように受けずに述べているわけです。また、私は「自虐史観」という言葉自体は問題にしていません。
私はアキバKBさんの「自虐史観」という言葉を問題にしているわけですから、平田さんのロジックに倣うとすれば、少なくとも平田さんのコメントは私のコメントを受けていないことになりますね。
>誰も言ってなくて突然出てきた事なのに当たり前のように言っています。
いえ、アキバKBさんのロジックから導き出せる帰結です。小倉さんの「『過去の歴史に汚点があることを知る』=『嫌いになる』っていうのはナイーブにすぎるような気がします。」というコメントに対してアキバKBさんは「みんながみんな、マゾではないのですよ」と答えていらっしゃるわけですから、アキバKBさんが『過去の歴史に汚点があることを知る』=『嫌いになる』という意見をお持ちであることが明白なわけですが、であれば当然の帰結として『過去の歴史に汚点があることを知らないようにする』=『嫌いにならずにすむ』というロジックが導き出せるわけです。
>という言い方をするということはそれに気が付いたということですよね。
気づいたというより、私が知らなかった「自虐史観」の別の定義を新たに「知った」という方が適切だと思います。検索してみるといろんな意味があるようですね。
>もうひとつの方の間違いも認めていただければ私は最後にしますので頑張ってくださいね。
すいません、よく分かりませんでした。
Rédigé par: 福田 | vendredi 23 septembre 2005 at 00:20
従軍慰安婦なんてその最たる例では?「慰安婦」が存在したのは事実だけど、「従軍慰安婦」なんて存在しない。彼女達はあくまでも自発的に応募した、または、民間斡旋業者に騙されて「慰安婦」になったのであり、当時の日本政府または日本軍が強制的に従事させたのではない。つまり彼女達は「職業売春婦」。そのような職業を選択せざるを得なかったことに同情はするが、当時の日本が組織的に強制したという事実を証明する客観的証拠はない。
最近はさすがに教科書から「従軍慰安婦」の記述はなくなりつつあるが。
Rédigé par: こりき | vendredi 23 septembre 2005 at 00:03
>平田さん
福田さんがそれなりに筋の通った主張をされているのか、差し支えなければ具体例をご教示頂けると幸いです。
>福田さん
相変わらずですね。
Rédigé par: 佐藤 | jeudi 22 septembre 2005 at 23:36
>福田さん
論点をずらし続けるのは止めていただけますか?
>私はアキバKBさんのコメントを受けて述べているわけです
これが既に間違っています。受けてないわけです。いつものように受けずに述べているわけです。また、私は「自虐史観」という言葉自体は問題にしていません。
>「過去の歴史に汚点があること」を「隠す」ような教育
ということを問題にしています。誰も言ってなくて突然出てきた事なのに当たり前のように言っています。貴方の思い込みですよね。
>「なかったことが書かれているから自虐史観である」というロジック
という言い方をするということはそれに気が付いたということですよね。
>どうも会話が噛み合わないと思いました。
それは一度でも誰かと会話が噛み合ってから言ってもらえますか。
もうひとつの方の間違いも認めていただければ私は最後にしますので頑張ってくださいね。
Rédigé par: 平田 | jeudi 22 septembre 2005 at 23:27
>平田さん
ちなみに「なかったことが書かれている」箇所というのは結構あるのですか?差し支えなければ具体例をご教示頂けると幸いです。
Rédigé par: 福田 | jeudi 22 septembre 2005 at 23:13
>アキバKBさんのコメントは関係ないと始めから言ってます。
いえ、私はアキバKBさんのコメントを受けて述べているわけですから、無関係ではありません。むしろ私は「従来の教科書は、なかったことが書かれているから自虐史観である」という平田さんのご主張こそ聞いたことがなかったので、どうも会話が噛み合わないと思いました。「自虐史観」という言葉ひとつとってみても受け手によって解釈が違うものですね。
Rédigé par: 福田 | jeudi 22 septembre 2005 at 22:50
>その解釈だと、従来の教科書は「なかったことが書かれているから自虐史観である」というロジックになってしまいますよ。
だから思い込みを止めてください。と言っています。アキバKBさんのコメントは関係ないと始めから言ってます。
あなたがそういう思い込みをしているということを説明しただけなんですよ。そしてそれを止めてくださいと。
少なくとも上記を認めていただいただけで1つの間違いには気が付かれたという事ですから、もうひとつの方も頑張って気付いてください。お願いします。
Rédigé par: 平田 | jeudi 22 septembre 2005 at 21:52
>しかし、その2つはイコールではありません。誰も汚点を隠そうなどとはしていません。あったことはあった、なかったことはなかったと書いてあるものを作ろうとしているに過ぎません。
その解釈だと、従来の教科書は「なかったことが書かれているから自虐史観である」というロジックになってしまいますよ。少なくともアキバKBさんのコメントからはそのようなニュアンスを受け取りませんでした。
Rédigé par: 福田 | jeudi 22 septembre 2005 at 21:16
>福田さん
>なるほど、私も平田さんのご質問の意図が分かりました。
すいませんけど、分かってないようです。何度も言いますが私が疑問に思ったのは
>>「過去の歴史に汚点があること」を「隠す」ような教育
です。貴方が何の疑問も抱かずに思い込んでいることを先に言ってしまうと、貴方は、『自虐史観ではない教科書を作ろう』とすることは『汚点を隠そうとする』行為であると思い込んでしまっています。しかし、その2つはイコールではありません。誰も汚点を隠そうなどとはしていません。あったことはあった、なかったことはなかったと書いてあるものを作ろうとしているに過ぎません。
しかし貴方はひたすらに隠そうとしているのは私ではないと言い続けています。私が確認したいのは、隠そうとしている人がいると言ってますけどそんな人どこにいるんですか?ということです。いないんですよ、そんな人はどこにも。
挙句の果てに
>いえ、あまり関心がないので詳しくは知りません。
と言ってます。これは、汚点の一部を隠そうとしている訳ではなく全部を隠そうとしていると思い込んでいることを自ら認める言葉です。なぜなら、汚点の一部を隠そうとしていると主張しているならば、どの部分かを質問したときに答えることができたはずです。つまり、貴方は憶測だけの思い込みで、「自虐史観ではない教科書を作ろうすることは、歴史の全ての汚点を隠そうとすること」であると言っている訳です。
何が間違っているか解かって頂けましたか?(2つありますよ)
Rédigé par: 平田 | mercredi 21 septembre 2005 at 22:59
過去ログにおいても、誰も補足されていないようですので、補足しておくと、
IPv4アドレス空間の節約の為に考案された技術は「CIDR(サイダー)」です。
Rédigé par: 横槍手 | mercredi 21 septembre 2005 at 22:15
小倉先生の論旨は微妙にずれていますよ。
それに先生が引用した「APNICのガイドライン」はIPアドレス枯渇問題が生じてから起草されたもので,当初IPv4で動的割付が推奨されたころは,DNSの効率化の面(「IPアドレス変換効率」や「IPアドレス辞書の更新トラフィック低減化」などの面)から推奨されていたんですよ。
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http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/21886/1117582053/31
小倉
>現在の日本のインターネット環境の元では、IPv4方式が広く採用されており、IPアドレスの不足を補うために、ISPがその契約者に対しアクセスし直す毎にIPアドレスを割り当てし直すという方式がとられている
匿名夢想剣士
>IPアドレスの割り当てを少しでもかじったことがある人なら、動的割り当ては常時接続の専用線を持たないユーザのために考案されたシステムであって、IPアドレスの不足に対応したシステムではありません。
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http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/21886/1126955616/49
小倉
>iPv4のもとでIPアドレスが動的に割り当てられるのはIPアドレスの枯渇を防ぐためであるという趣旨の発言に対し、
>それはプライバシー保護のためであるとする記述をどこからか探し当てて、私には基本的な知識がないと吹聴しているだけというのがそもそものはなしです。
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Rédigé par: 日本人 | mercredi 21 septembre 2005 at 21:36
めちゃくちゃ根本的な疑問なのですが、右傾化右傾化っていうけど、日本が右傾化したら小倉先生が何か不利益をこうむるような事態が発生するんですか?
私は別に日本人である事を誇っちゃいないし、小倉先生が日本人である事に誇りを持てないのは別にどうでもいいんですが、他人が日本人である事に誇りを持つ事に文句をつける精神が理解できません。
>自分が他人のため、社会のために、
>何かを成し遂げたことを誇りに
>思えばいいと思うのです。
日本人である事を誇りに思う事と、自分が成し遂げた事に誇りを持つこととは両立可能でしょう。↑の文章からは日本人である事に誇りを持っている人間は、自分自身が成し遂げた事に誇りを持てない人間だと言っているみたいですがね。
Rédigé par: ppp | mercredi 21 septembre 2005 at 18:53
>ネット上ではなぜか都市伝説化が進むものなのですが、
>iPv4のもとでIPアドレスが動的に割り当てられるのはIPアドレスの枯渇を防ぐためであるという趣旨の発言に対し、それはプライバシー保護のためであるとする記述をどこからか探し当てて、
正直それも都市伝説。
というか、捏造と言うか。
木を見て森を見ず、が正確かな。
ちゃんとここに書いてあり。
>http://benli.typepad.com/annex_jp/2005/06/post.html
「結果的に」プライバシー保護にも使えるメリットを放棄すべきではない、という至極当然の話です。
既存のメリットを無為に放棄してしまえば、そりゃよい意見とはいえない。
Rédigé par: sasuket | mercredi 21 septembre 2005 at 15:12