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mercredi 31 mai 2006

Commentaires

sakimi

端的に言うと、日本人の権利は天から与えられた物ではなく日本国憲法と法律によって保障されている物です。
自分の立っている位置が気に入らないからって、自分の立っている基礎を壊してどうするんだって事ですが?
嫌なら同士を集めて基礎を作り変える努力をすれってだけで、壊すなってのが今回の「愛国心」義務付けだと思うのですが、小倉先生の考えは違うんですかね?

平田

教育基本法改正に愛国心を盛り込むかどうかの議論を、子供達を愛国者にする(もしくは愛国心を埋め込む)かどうかの議論のように摩り替える印象操作は止めていただけないでしょうか。

『愛国心教育論争における「目的と手段」の明確化』のエントリではあまりにも情けないので突っ込みませんでしたが、
>「愛国心」というのは往々にして「遵法精神」とは相矛盾することがあるから(私の高校の先輩にあたる浅沼稲次郎さんを刺殺した少年も愛国心にあふれていたわけですし)、

というのが間違っているというのは判って書いてますよね。その少年が愛国心にあふれていたと仮定するとしても、その少年に遵法精神がなかったから、たまたま愛国心を持っていたその少年が刺殺する相手として選択されたのが浅沼稲次郎さんという政治家だっただけです。愛国心が遵法精神をなくさせたわけではなく、愛国心がそういう行動をさせたわけでもありません。愛国心を持っていても遵法精神を持っていればそういう行動には至らないわけですから、愛国心と遵法精神は無関係です。

 貴方の言っているのは、「カレーに含まれるスパイスは目に悪く視力を落とすので食べる奴の気が知れない」と言っていると同じです。カレーと視力は無関係です。そんな間違った知識を書けばカレー好きが反論するのは当たり前ですし、カレー屋から正式に抗議が来るかもしれません。さらに加えて本エントリでは、「私の言っていることが信じられないなら、他人が食っても俺の目が悪くなるわけじゃないからいいんですけどね。カレー食って勝ち組になれると思ってるなら勝手に食えば宜しいのではないでしょうか(嘲笑)」と読み取られても仕方の無い言い草です。(私の解釈が不思議かどうかは読む人が判断するので貴方がどう思うかは不要です。)

 現在話し合われているのは、「子供たちを愛国者に育てるかどうかの是非」ではなく「教育の中に正しい愛国心を入れるかどうかの是非」です。2つは明確に違います。もしも前者についての話であれば多分過半数の人は反対すると思います。後者の議論を前者であるようなすり替えをして印象操作をするのは止めてください(願)。

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