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dimanche 14 mai 2006

Commentaires

平田

貴方は本当に例え話が下手糞ですね(涙)。

 そもそも学校でのいじめって匿名なんですか?違うでしょ?
つまり貴方はいじめと匿名性は無関係であることをこの例えで認めているわけじゃないですか。

>クラス内で公然と「いじめ」が行われているときに、見て見ぬふりをしてあげたり、生徒と一緒になっていじめに参加したりするような「空気を読むことに長けた」教師

それに、いつものようにこんな世界中探してもいそうもなさそうな教師を例えとして出してくるなんて、なんという間抜けなんでしょう。いいですか、いじめを認めている人なんていないんです。みんなが言っているのは、匿名性を制限したからっていじめ(敢えてこの汚らしい例えを使いますけど)がなくなるとは思えないと言っているだけです、匿名性は無関係だと。

#というか、フランス語のtypekeyにしている時点で、すっかりひるんでいると思いますけどね。とても毅然とした態度には思えないですけど(泣笑)

忙中閑人

「出張放火」や「人のブログで自説展開を延々連投する」や「不必要な嫌味皮肉当て擦りを多用する」のが良くないこと(ネチケット違反)をブロガーさんたちに理解してただくことができる人は尊敬します。
 それは羞恥心と社会常識を持つ普通の人に対しては簡単です。一部の人に対してはなかなかに難しいことです。
 ことに「空気を読む」という言葉を自分に都合よく解釈する独自の見解の方には。

弁天小僧

 子供たちの言い争いが「いじめ」かどうかが問題でしょうね。いじめではないかも知れません。
 他の人の考えには耳を傾けず、事の背景に目をやらず、ただただ自分の思い込みで、一方の生徒に肩入れして指導する教師がいたとすれば、生徒達はそんな教師の浅はかさは直に見抜いてしまうものです。
 そんな教師の言うことでも、生徒達は「先生。分りました」とは言うでしょう。しかし、そう言ってくれたとしても、本当に指導できたということにはならないでしょう。
 教師のみなさんには、広く公平な視点から物事を洞察し、生徒を指導できる教師(空気を読める教師)になってもらいたいと思う次第です。

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