故富田朝彦元宮内庁長官のメモについては、「なぜこの時期に」と訝る見解もネット上にはあるようです。
しかし、故富田元長官の関係者からこのメモを受け取った新聞社としては、できるだけ早く(他社に出し抜かれる前に)これをスクープとして報じようとするのは当然なことであって、政局に配慮してこのスクープをお蔵入りさせるような編集者がいたとすれば、それはそれで新聞の編集者としてはいかがなものかと思ってしまうわけで、そういう意味では「なぜこの時期に」と訝る方が不思議かなあと思ってしまいます(さすがに、仮にこのメモを受け取ったのが産経新聞社だったとしても、「政局に配慮して」お蔵入りさせることはしないでしょう?)。
もちろん、「なぜこの時期に日経新聞社が入手できたのか」という意味で「なぜこの時期に」と訝っているのだという方もいるのかもしれませんが、故富田氏が亡くなったのが2003年11月であり、その後小泉首相の靖国参拝はずっと政治問題化していたのですから、「では、いつだったら自然なの?」という疑問が生じてきてしまいます。
戦没者の追悼についていえば、国の行事として敢えて行うのだとすれば、誰を、どのようにして追悼するのかということについて民主的な統制を及ぼすことが信教の自由と衝突しかねない靖国神社にて行うのではなく、公営の非宗教的な施設にてこれを行う必要があると思ったりなんかします(靖国神社やその信者たちが、「分祀はできない」という宗教的な論理を強調すればするほど、「そのような施設は、国家的な追悼行事の舞台としては適切ではない」という思いに駆られてしまいます。)。A級戦犯が合祀されていることや、そのことにより天皇やアジア諸国に不快感を与えるということは、結果であって、問題の本質ではないのです。