ブログ主もコメンテーターも、実名またはトレーサビリティの高い仮名を用いるようなシステムが一般に採用された場合を考えてみましょう。どのような弊害が 考えられ、それはシステム的に克服できるのでしょうか。
まず、第1に考えられる弊害としては、「有益な内部告発が抑制される」というものです。
ただ、「匿名の内部告発」は、「匿名の虚偽告発」との区別が外形的につかないという決定的な短所があります。それゆえ、匿名の卑怯者たちが虚偽告発を濫発
し続ければし続けるほど、真摯な内部告発は虚偽告発の中に埋没し、顧みられなくなります。その一方で、真摯な内部告発については、告発された側は見覚えが
あるわけですから、内部告発者の割り出しを行い、左遷その他の私的制裁を加えるおそれがあります。この場合、ブログなどを利用した匿名の内部告発者は、内
部告発のための適正なルールに従っていないのですから、内部告発者保護プログラムの適用を受けられずに終わる可能性が高いです。このように内部告発を匿名
ブログや匿名コメントで行うことは、実はそれほど得策ではありません。逆に言うと、真摯な内部告発を推奨するためには、ブログの匿名性を確保することに躍
起になるより、内部告発者保護制度を充実させたり、内部告発を受け付けて真摯なもののみを拾い上げて公表するNPO等の設立に奔走する方がよほど役に立ち
ます。
次に、ネット上での言動が理由で会社を首になったり左遷されたりする危険が生ずるということもよく言われます。もっとも、「そのような言動を行った者に 対し懲戒権を行使するのは許容範囲内」と認められるような言動は、もともと匿名でもすべきではありません。それに、会社の企業秘密をブログ等で公開してし まうということは、その人を雇っている会社の経営自体を危うくしかねないことであり、自分で自分の首を絞めることになりかねない行いです(例えば、提携先 から提供を受けた技術情報が匿名ブロガーにより公開されてしまっているという場合、その提携先は、情報管理の甘いその会社とは二度と取引をしなくなるかも しれません。)。元々すべきではないことができなくなることは、一般には「弊害」とはいいません。
また、実名またはトレーサビリティの高い仮名が用いられるとき、「誰が」その発言を行ったのかが重視されることになってしまうという点が問題視されるこ とがあります。しかし、ある言説が信頼するに足りるものか否かを判断するにあたって、その言説の主がどのような人物であり、またその言説に賛同または反対 をしたのがどのような人物であるのかというのは、重要な手がかりとなります。純粋に「何が語られているか」だけでその言説が信頼するに足りるものであるの かを判断するのは大変だからです(「専門家」の氏名というのはどこかに登録されていたりすることが多いですから、実名のトレースが容易であれば、「専門 家」であることの「騙り」もある程度防ぐことができます。)。すなわち、この問題について発言している自分がどのような属性を有する人物であるのかを明ら かにすることは、読み手に対する配慮であり、話題によっては、読み手に対する倫理的な義務ですらあります。
そのことの関連で言うと、実名またはトレーサビリティの高い仮名が用いられるとき、ポジショントークとなりやすいという点が問題点としてあげられること があります。しかし、おそらく、匿名やトレーサビリティの低い仮名を用いてもポジショントークをする人はします(そういえば、ある著名刑事事件の弁護人が 開設するブログに、現役検察官が匿名でネガティブなコメントを投稿したことがありましたが、これなどは匿名でもポジショントークがなされた一つの例で す)。実名またはトレーサビリティの高い仮名が用いられる場合、読み手は発言者の属性を知りうるが故にそれがポジショントークであるか否かを自ら判断しや すいのに対し、匿名やトレーサビリティの低い仮名が用いられる場合、それがポジショントークであるか否かを判断する手がかりを欠くことが多いというにすぎ ません。
また、実名またはトレーサビリティの高い仮名しか用いることができないとするとネット上で発言することができるのは一部の「強者」に限られてしまうので はないかという意見もあるようです。しかし、私が知る限り、プライベートでブログを開設するにあたってのガイドラインを定める会社はあっても(そのこと自 体は営業秘密等の保持の観点から一定の限度内であれば合理性を有します。)、プライベートでブログを開設すること自体を就業規則等で禁止し、これに反した 従業員を懲戒したという例を聞いたことがありません。したがって、営業秘密等を漏らすのではなく、かつ、従業員の評判を通じて形成される会社の評判を低め るような下品なエントリー・コメントをアップロードしたりしているのでない限り、「匿名でなければブログを立ち上げたりコメントを投稿したりすることがで きない弱者」というのは実際には想定することがそれほど容易ではないといえます。
ひとしきり読み直しましたが、技術面での問題をクリアする具体的方法が見えてきません。ですので主張がどのあたりにあるのかもあまり見えてこないので、最初の質問があるわけです。単純に、「訴訟の手続きが煩雑であるので、簡便にすべき」だけなら判りますし、支持もしますが。
一つ注意しないといけないのは、小倉氏の主張がどうも少しずつ変遷しているということでしょうか。
Rédigé par : Мышкин | dimanche 29 mai 2005 à 01:15
>現状では、どう小倉先生の実名である信憑性も十分には確保できないのではないかと思えてならないのです。
現状ではそのハードルは高いでしょうね。だから高いトレーサビリティを、という話に繋がっていくわけですが、「どのような方法で、どの程度まで」という点について言えば、HWJなどでも何度か言及されていると思いますから一度目を通されればよいかと思います。
Rédigé par : 福田 | samedi 28 mai 2005 à 04:36
そもそもなぜ実名・匿名での情報発信にこだわるのかわかりません。
基本的にネットでブログ等を読む場合、書かれている内容が面白いか、役に立つ情報であるかがほとんどです。
実名か否かを重視する人は、まずいません。
だからこそ、ここのコメントも、海外での論調も、小倉さんがエントリーしている事など問題視せず、単に実名で情報発信した場合の危険性を訴えているのだと思います。
誰も問題視していない事を「問題だ」というから、分かり難くなるのではないでしょうか。
にもかかわらず、ここまで実名・匿名にこだわるのは、もう小倉さんのアドバンテージは「私は実名で書いている!」という自負心だけだからここまでこだわっているのだ、と邪推されかねません。
Rédigé par : Tammy | samedi 28 mai 2005 à 00:29
今の話の流れからはすこし逸れる質問ですが、ご容赦下さい。
実名のリスクリターン、匿名のリスクリターン以前に、小倉先生はネットでの実名、あるいは個人のトレーサビリティをどのような方法で、どの程度まで確保してゆくのが望ましいとお考えでしょうか。
例えば、このブログを弁護士:小倉秀夫本人が間違いなく執筆しているということを、私たちはどうやって確認すればよいのでしょうか。仮に誰かが小倉先生本人の事務所に乗り込み、このブログについて詰め寄ったとします。そこで先生答えて曰く「そんなブログ知りません」こうなった時、私たちはどうやって小倉先生ご本人による執筆であると確かめればよいのでしょうか。
現状では、どう小倉先生の実名である信憑性も十分には確保できないのではないかと思えてならないのです。
Rédigé par : Мышкин | samedi 28 mai 2005 à 00:25
自問自答になりますが、「トレーサビリティの高い仮名」を用いて愚痴を書いたとき、その愚痴が他者や会社などを特定させないように記されているとすれば。そして、その程度の内容では、書き込み主以外の者からの個人情報開示請求に応じないという原則がしっかりあるのであれば。その場合は、確かに小倉秀夫先生の言うとおり、「トレーサビリティの高い仮名」を用いても十分満足のいく愚痴が漏らせそうです。ただし、「トレーサビリティの高い」という言葉が何を意味するのかは別問題ですし、実名の場合はやはり危険が残ったままです。
しかし少なくとも、小倉秀夫先生に愚痴の実例を書いてくれという私の書き込みは、このブログが「トレーサビリティの高い仮名」でなく実名によるものである以上、明後日の方向へのお願いだったと思われます。「実名あるいはトレーサビリティの高い仮名」の中の「あるいは」という言葉に、私は非常に引っかかりやすいようです。失礼しました。
Rédigé par : あんよ | vendredi 27 mai 2005 à 21:03
小倉先生やコメンテーターの皆様
取り乱して失礼しました。落ち着きましたので、もう一つ質問を書くことを認めてください。
フランスでも、今はブラジルでも、裁判官、検察官、弁護士、警察官、新聞記者、政治家、評論家の人たちが、わざと匿名でコラムを書くことは普通に存在し、書く法も読む法も楽しんでいます(ブラジルでは一時期反政府的意見を匿名で書かないと投獄されたという歴史があります)。
なぜ、このような人たちが身分や地位やスタンディングポジションを明らかにする義務が化せられる必要があるのか判りません。
このような人たちだって、公人でなく私人として発言する人権はあると教わりましたが間違いでしょうか?
無論、名も無き市井の民が「私はアテナイの床屋です。今度の重税には反対します。重い税を払ったら、女房に女遊戯に使ったろ!と叩かれました。」というたびに実名を要求されたら(実名が発覚するリスクスが存在するだけでも同じでしょう)、恥ずかしくて、プライバシーが公になって、ナチスドイツ下のように”沈黙の社会”となる危険性はないでしょうか?
悪口言われて腹が立つリスクスよりも、言論の自由が死ぬリスクスの方が怖いと思いますが、先生のご見解はいかがでしょうか?勉強させてください。
Rédigé par : フレリシオ鈴木 | vendredi 27 mai 2005 à 10:11
小倉さんは、「プライバシーの保護」という観点からの言及は一言もありませんね?
内部告発者以外はプライバシーの犠牲を覚悟しろと?
オピニオン系おのブログなど実はそれ程多くない。世の中の大半のブログは、日記の延長でプライバシーを切り売りしながら平穏に楽しんでいるのです。恋人の事だったり家族の事だったり。その方々に実名を晒す事を納得させるだけの論理的妥当性がありますか?
それから、部落民の方や在日の方のブログなどマイノリティの方々にも実名を要求する?
実際には実名の弊害はまだまだあるのではないでしょうか?
Rédigé par : J2 | vendredi 27 mai 2005 à 09:34
小倉先生。
私のような者にコメントをいただけてうれしいです。
そこで更に勉強のためにお尋ねさせてください。
>彼らに悪口を言われる人々に一方的に外部不経済を押しつけることになります。
とのご意見ですが、これはパブリックフォーラム(公的言論場とか公的討論場所とか訳していいでしょうか)では甘受されるべき当然のリスクと教わったんですが、それは間違いでしょうか?
インターネットは、意見の自由市場ですからパブリックフォーラムだと思いますので、アテネの討論場のように、聴衆から野次が飛ぶのは討論場所ゆにえ当然の前提だと思われますが間違いでしょうか?
その野次や拍手が立論の自由市場の多数決評価や多数の支持と目されるのが史実ではないでしょうか?
不正なスクラムをして”ブルータスお前もか”と言わせしめた人達は、結局、最後には聴衆の審判で全員投獄されたのが史実だと思うのですが、すいません頭が混乱してきました。
Rédigé par : フレリシオ鈴木 | vendredi 27 mai 2005 à 09:12
考えるための具体例として、例えば、仕事の同僚・上司についての愚痴や、仕事関連あるいは非関連の愚痴を、個人名などを伏せて対象を特定されないようにしながら、小倉秀夫先生ご自身が提示されてみてはいかがでしょうか。そうすれば、その愚痴の水準が自分の現状でも可能かどうか、その範囲内の愚痴で満足できるかどうかを、個々人が判断し納得するための基盤になると考えます。
もちろん、全く愚痴がないということもあるでしょうから、これは一つの案です。
Rédigé par : あんよ | vendredi 27 mai 2005 à 09:02
すみません。操作ミスで途切れました。
先生のご見解では、逆に、専門家や資格や肩書きの”権威付け”や”高見所見”を潔しとしない真摯な見解を封殺するし、”資格商法TV通販”紛いの”資格や肩書きに依存した見解”の蔓延を許すことになりませんか?
また、資格や肩書きやスタンディングポジションのない人の意見は無視される傾向を誘発するので、”自由,平等,博愛”という法の基本に反するのではありませんか?
名も無き市井の民が圧制に反抗してフランス革命を成し遂げた史実にも反すると思うのですが、いかがでしょうか?
このような疑問が湧いてきてしまったので質問しますが御教示いただければうれしいです。
Rédigé par : フレリシオ鈴木 | vendredi 27 mai 2005 à 08:57
レッセ・フェールに任せた場合、ブログ主を攻撃するコメントを投稿したい人たち(特に、公然と特定の人の悪口を言うことで繋がりを感じて癒されている人たち)は、自己の発言に伴う責任を回避できる可能性が高い匿名を選ぶ可能性が高く、その場合、彼らに悪口を言われる人々に一方的に外部不経済を押しつけることになります。
Rédigé par : 小倉秀夫 | vendredi 27 mai 2005 à 08:55
例えばブログに、会社に対する愚痴を、会社名や企業秘密や他人の個人名などを出さずに書くとします。
このブログ主は、その愚痴りたい状況と似た境遇にある匿名読者の共感をコメント書き込みしてもらったり、どうすれば改善できるか他者と意見交換したりすることで、現状に耐える支えや、前向きに進む努力の手がかりを得ることができるかもしれません。
そして、その会話相手の読者達も匿名なればこそ、「分かる分かる、うちもさあ」と書き込めます。
これはいわば、かつて飲み屋で行われていた、見知らぬ者同士の慰め合いと同じ意味を持つものです。日々の不満を解消するコミュニケーションの場所が必要なのに、それがネット上にしか得られない者もいるのです。
ところが、実名なりトレーサビリティの高い仮名が強制されたならば、ブログ主の愚痴の対象である上司なり同僚なりから、さらなる被害を受けることになるかもしれません。
いったい誰が、その相手に聞こえる場所で愚痴りたいと思うでしょうか。そんなことができるのは、弱者への嫌みをわざとその耳に入れさせたいと思う「強者」だけです。
それとも、そういう愚痴を公開する行為自体が間違いであるか、その反撃の恐れがない「内部告発者保護制度」に守られた場所のみで語るべきなのか、相手からの微妙な嫌がらせも堂々と批判すべく弁護士に相談したほうがいいのか。そのあたりはどう考えればいいのでしょうか。
Rédigé par : あんよ | vendredi 27 mai 2005 à 08:52
実名・匿名はレッセフェールに任せた法が良いと思います。倫理を強調して愚を犯した十字軍の故事に倣った法が良いと思います。
ブラジルでもネットでは特定の実名人のブログが荒れることは普通にありですが、特定人に限られます。そのような特定人は実名でコメントした場合もコメント先を荒らすことが多いと思います。日本もそうなのではありませんか。
これは実名や匿名に関係なく、投稿した内容によって荒れるだけだと思います。
Rédigé par : フレリシオ鈴木 | vendredi 27 mai 2005 à 08:43
何故、「謂われない襲撃」に関して言及がないのかが不思議
です。
現状、トレーサビリティが高い仮名と言う奴がネット上で多く使われているという話は聞きません。
である以上、小倉先生の仰る「卑怯者」の対極としての存在は「実名公表をしているブロガー」であると思われます。
さて、実名が公表されている場合、先生の仰る「匿名の卑怯者たちを刺激しかねない話題」に触れる事は極めて危険です。
「匿名の卑怯者」を刺激すると言うことは、それ以外の「簡単に法を乗り越える人々」を刺激する事にもなるでしょう。
その場合、実名が公表されていれば現住所等の特定が容易であり、結果、「実名を公表している」事を原因として身体に直接被害が発生する事も考えられます。現にブロガーに対するストーカーの存在が取り沙汰されていますね。小倉先生もコメントされているのでご存じかと思いますが。
この様な事態を避けるのに、匿名による事前防衛以外に一体どのような対処法があるのでしょうか?
法的措置は対症療法なので論外、「法整備が必要」では現状において対処されていないのでやはり回答にはなりません。
お答えください。
Rédigé par : 水上景 | vendredi 27 mai 2005 à 08:38
先生・・・・こねくりまわさないで、ごく常識的な局面に対する想像をお願いします。
特定の会社や人物に関係なく、たとえば上司への追従やおべっか、派閥や徒党、賄賂、こね、ずるさ、ご都合主義あるいはあまりの理想主義など、社会に対するごく一般的な意見をブログでいたい、という御仁がいるとします。
それらはブログをつくりたい市井の人々の真っ当な表現欲求のひとつだと思います。
彼はなぜ、本人がばれる大いなるリスクを犯して実名でこれを投稿し、隣人や上司の猜疑や非難、あてこすり、非難、処罰のリスクに直面しなければいけないのですか?
Rédigé par : 中井亀之助 | vendredi 27 mai 2005 à 06:33
内部告発者とポジショントーカーは実名を使えばよいのではないでしょうか。
ネット上には自分の評価・信用を故意におとしめるかのような発言を繰り返す思慮の足りない者がたくさんいますが、彼らのためにも匿名が認められてもよいと思います。
また、ブロガーの中にはわざと扇情的なエントリを投稿してコメントスクラムを発生させる者もいますが(「釣り」に絡めてコメントフィッシングとでも命名します)、彼らは果たして被害者と呼べるのでしょうか。
Rédigé par : 佐藤 | vendredi 27 mai 2005 à 02:25