「JSF」さんという方が前回のエントリーのコメント欄で、「社会党に代表される護憲派」が「憲法について語る事すらタブー視される風潮を作り上げた」が、「それが急激に変化したのは小泉政権後の事です」と仰るのですが、憲法改正論に関する歴史をおおざっぱに見てもそうはいえそうにありません。
下記年表を見ても明らかなとおり、「憲法について語る事すらタブー視される風潮」が作り上げられたどころか、自民党をはじめとする保守ないし右派勢力により憲法改正論議は連綿と行われ、断続的に私案が公表されてきたというのが正確です。公表はされたが、大多数の国民にとって現行憲法よりも魅力的なものではなかったので、温かく迎えてもらえなかったにすぎません。
また、下記年表を見れば明らかなとおり、憲法改正論議が活発化しだしたのは、小泉政権後ではなく、1990年代初頭からです。もちろん、これは北朝鮮による日本人拉致問題との関係で日本国民の意識が変わったからではなく、湾岸戦争及びこれに伴い米国から突きつけられた「国際貢献論」との関係で、米国の要求に応じて自衛隊を世界各地に派遣するには憲法第9条が現実に歯止めまたは足かせになったからです。
小選挙区制の導入に伴う社会党・共産党の衰退及び社会党の分裂等の情勢の変化もあり、国際貢献論からの憲法第9条改憲に限定して憲法改正論議が行われていれば、1990年代末から2000年代初頭にかけて憲法改正がなされていた可能性はあったとは思いますが、その後、自民党内部でロマン主義的な勢力が強くなり、復古主義的改憲論に先祖返りしつつあるので、このロマン主義的勢力を自民党内部で押さえないと、憲法改正案の発議には至らないような気がします(敗戦前の日本社会を戦後の日本社会よりも高く評価し、敗戦前の社会制度に戻したいと考えている国民はそう多くないですし。)。
なお、現行憲法は改正規定のハードルの高さがとやかく言われますが、それは改憲勢力の甘えというものでしょう。未だかつて、国民の過半数以上の賛成を得られた具体的な改正案が作成されたことがないのですから、ほよど軟性の憲法でもない限り、改正なんかできるわけがありません。
他方、現行憲法の改正規定の下であっても、現行憲法下で生活するよりも一般の国民がもっと幸せになれそうな憲法私案を掲げて総選挙に打って出れば、憲法改正に賛成する勢力で3分の2以上の議席を確保できた可能性はありますし、そのような改正案であれば国民投票で過半数の賛成を得られた可能性は十二分にありました。しかし、これまでの保守ないし右派勢力による憲法私案は、「為政者」としての視点が強く、基本的人権の制約範囲を広げたり、国民に新たな義務を押しつけようとしてみたり、国民に復古的な価値観を押しつけようとする傾向が強かったため、そのような改憲が現行憲法の改正規定をクリアする可能性がなかったにすぎません。
- 1955年 自民党は「自主憲法制定」を掲げる綱領を策定
- 1957年 憲法調査会設置
- (この間、様々な憲法私案が発表される)
- 1964年 憲法調査会最終報告
- 1972年 自由民主党憲法調査会「稲葉試案」
- 1981年 自主憲法期成議員同盟「憲法改正草案」
- 1982年 自民党憲法調査会「中間報告」
- 1993年 自主憲法期成議員同盟・自主憲法制定国民会議「日本国憲法改正草案」
- 1993年 日本を守る国民会議「新憲法の大綱」
- 1993年 自民党憲法調査会「中間報告」
- 1994年 読売新聞「憲法改正試案」(第1次案)
- 1996年 愛知和男「平成日本国憲法私案」
- 1996年 新進党憲法調査会「中間報告」
- 1999年 小沢一郎「日本国憲法改正試案」
- 2000年 読売新聞「憲法改正試案」(第1次案)
- 2001年 山崎拓「新憲法試案」
- 2001年 日本会議・新憲法研究会「新憲法の大綱」
以下は毎日新聞の2004年4月30日の社説からの抜粋です。
> 対する護憲派のトーンも変わってきている。9条を神聖視し、「革新」の旗印として熱烈な論陣を張った冷戦期と違い、国際政治の現実を踏まえた意見が聞かれるようになった。
一応、恣意的なミスリードと思われないために説明しますが、「改憲論側も『押し付け憲法論』が主流だった(が、今は変わってきている)」と改憲論側を表した後で、護憲側に関して上記のように表しています。
上記の評は「一時期は国際政治の現実を踏まえない熱烈な論陣も張られていた」というように裏返しに読めます。
どちらかと言えば反保守派な毎日新聞ですらこのような意見を載せてるのですから、どうやらそういう認識をしているのは別にJSFさんの主観による勘違いではなく、ある程度の一般的な認識と考えてよさそうですね。
Rédigé par : 手先 | vendredi 13 mai 2005 à 10:33
って下のコメントはF-taroに向けてです。
延々さん、失礼しました。
Rédigé par : peace1941 | lundi 09 mai 2005 à 22:32
>>延々
>>9条という逃げ
って9条でどうやって攻められたときに逃げるんだろ?
国民保護って義務から逃げるの?
自分が戦争放棄したって相手は放棄してくれんしな
Rédigé par : peace1941 | lundi 09 mai 2005 à 22:22
かなりどうでもいい話ですが、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1290517
http://www2.airnet.ne.jp/shibucho/hirotoku3.html
これらを見る限りでは、「日本は戦争をすれば必ず負ける」なんてこたぁないと思います。
>おまけに、今は日本は退潮期でね、製造業、金融、ともに日本から逃げて中国とかシンガポールに拠点が移ってる。ハイテク関連もインド、台湾が中心。IT=インド、台湾の略、なんて冗談もあるくらい。借金だらけのスッカラカンのビンボーで、おまけに成長の見込みもないんだよ。我々は。
経済特区とかってありませんでしたっけ?
人件費の問題もあるので一概には「逃げた」とは言えません。「逃げた」という事の定義がさっぱり分からないのですが、シェアそのものだけで考えると「退潮期」なんて発言はどっから出てくるのか分かりません。
具体的な資料、ソースをお願いします。
Rédigé par : MOQ | lundi 09 mai 2005 à 21:54
F-Taroさん
>第1条を廃棄すべきと思っています。
お、天皇制反対論者の方ですか。
>「戦争を経験した人」、特に社会的に弱い立場で
>それを多く経験した人ほど「戦争に至る道は針の
>穴1つでも広げたくない」って、思ってる。
第147回国会 参議院憲法調査会 第6号
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/keika_g/147_06g.htm
…世代別に見ましても、二十代、三十代、四十代では改正賛成派が六割台に上っております。最も少なかった七十歳以上の高齢者層におきましても、改正賛成派が前年より一六%増加をいたしておりまして、五一%になったということであります。憲法改正賛成論が世代を超え力強い動きとなりつつあることがうかがい知れたのであります。
-----
これは5年前の話ですけど、戦争経験世代でもこんな感じだそうです。
>世界を見ておいで。
とりあえず同じ敗戦国のドイツを見てきました。
■独軍改編へhttp://obiekt.hp.infoseek.co.jp/peacemaker/draft_2.html#germany
シュトルック国防相は昨年5月、ドイツ軍の主任務を「専守防衛」から「国際紛争への対処」に切り替える方針を示し、今月13日、その新編成を発表した。
------
ドイツ軍の今後の展開地域は全世界になるそうです。
>今の戦争は非対称戦争といって
その辺りの専門的な事を語り合いましょうか?
でもそれは流石に小倉さんに迷惑ですので、私の所に来て下さい。連絡用掲示板に書き込んでいただければ専用エントリーを起こしますので、お待ちしています。
Rédigé par : JSF | samedi 07 mai 2005 à 20:42
はたから見てて、思うことを一つ。
小倉さんのおっしゃるように冷戦後、世界における日本のあり方というか、世界の空気が変わったと言うのはあると思うんです。改憲案を発表する「発信者」側の意識にはそういうものが当然あったろうと思います。でも、受け手の意識はそれにおっついてなかったんじゃないでしょうか?改憲案に魅力がなかったとか、ほんまにその気ならええ憲法案つくってみろよ、ではなくて。国際情勢にうといのは、島国日本の悪癖です。
一方で、JSFさんおっしゃるように、国民の空気ががらっと変わったのは、やっぱり今世紀に入ってからじゃないでしょうかね。これは、発信者の問題じゃなくて、受け手側の問題ですよね。
それは小倉さんもおっしゃってるように、
>日米安保体制のもと日本に外国軍が攻め込んでくる確率を高いものと認識していた国民が少なかった
今は、北朝鮮やテロという脅威があるんだと、国民の肌にひしひしと感じられるようになってます。それが、空気が変わった大きな要因じゃないかとも思います。
それに、今議論されている改憲案が10年前のそれと比べて、そんなに違いのあるものなのだろうかなとも思いますしね(読んだことないけど)。
はたから見てると、小倉さんは発信者の側から説明され、JSFさんは受け手の問題を取り上げておられるように思います。だから、なんとなく話が噛み合ってないような。
Rédigé par : 若隠居 | samedi 07 mai 2005 à 14:49
はじめまして。延々と申します。
栗栖統幕議長の件については一通りのことしか知らない
のではずしている可能性もありますが一言。
>法令遵守義務を負っている国家公務員が「有事には自衛
>隊は超法規的行為をとらざるをえない」などということ
>を公言すれば処分を受けるのは当然です。
ここで、
「有事には自衛隊は超法規的行為をとらざるをえない」
というのは
「だから有事には超法規的行為をしよう/する」
と言っているのではなくて、
「だから憲法改正なり法律改正するなりして有事にも
超法規的行為をしないで済むようにしてね/したい」
ということじゃなかったのでしょうか。
もしそうだとすれば、
>公務員が「憲法を守る意思がない」なんて言い出し
てないってことで罷免の正当理由には当たらなくなっ
てしまいますが...
Rédigé par : 延々 | samedi 07 mai 2005 à 12:22
時代がどう変わろうとも、私は現状憲法は改正し、直すべきと思います。簡単に言えば第1条を廃棄すべきと思っています。だから私は改憲論者です。他にも変えたいところは個人的にいっぱいありますけどね。
ところで、9条のほうは昔から改憲論議っていっぱいあったんですよ。だからそれに対する反対運動もたくさんあった。今はその場がネットに移ったのと、そこで議論している人が、本当の戦争を目の前で見たことがない人が多くなった、ということ、そして、改憲をしたい側の人の宣伝がうまくなってきた、ということ、加えて、改憲反対を言う側の人たちの「社会勢力」が信頼を失って組織を小さくしたこと。これが変化したことでしょうね。
まぁ、昔を知らない人がいろいろ言ってもしょうがないけれど、それがたとえ巻き込まれる側であったにせよ、積極的に参加する側であったにせよ、また憲法が改正されようがされまいが、戦争だけはやめたい。そういう気持ちが強い人、戦争で大変な目に遭った人が昔はまだ多かった。今はだいぶ死んじゃったからね。少ないのです。
で、そういう「戦争を経験した人」、特に社会的に弱い立場でそれを多く経験した人ほど「戦争に至る道は針の穴1つでも広げたくない」って、思ってる。そう考えて戦後を生きてきたんですよ。
いくら勇ましいことを言っても、今の戦争は非対称戦争といって「テロあり、陰謀あり、情報戦あり、生物兵器あり」の、「銃後」の一般市民を狙う戦争が当たり前になってきたから、もし日本がこれからどこかと本格的な戦争を始めるとしたら、ハデなドンパチじゃなくて、陰湿でとんでもないぐちゃぐちゃの、消耗戦、ゲリラ戦が始まるでしょうね。
結果、あの元気だった頃の米国でさえベトナム戦争で大敗北を喫したわけだよね。今のイラクはどう?あんな状態で「勝った」なんて誰も言えないでしょ?
米国ほどの備えもなければ、何時米国に見放されても文句も言えない日本では、戦争がはじまれば「必ず負ける」。ひょっとすると、第二次大戦以上にひどいダメージをうけて、日本という国に住めなくなるくらいになるかも知れないね。
列強にはさまれれば弱い者としての日本ってのが現実としてある以上、憲法9条みたいな「逃げ」だって必要なんじゃないかね?現実の戦争を知らない人たちばかりだよね。勇ましいことを言う人たちは、さ。
精神論で技術や物量の差をなくすのだ、って、あんた、太平洋戦争で竹槍持ってバカやったところの写真くらい、見たことあるでしょ?おまけに、今は日本は退潮期でね、製造業、金融、ともに日本から逃げて中国とかシンガポールに拠点が移ってる。ハイテク関連もインド、台湾が中心。IT=インド、台湾の略、なんて冗談もあるくらい。借金だらけのスッカラカンのビンボーで、おまけに成長の見込みもないんだよ。我々は。
え?私?もちろん戦後生まれだよ。でも、世界各地で本当の戦争の姿、見てきたよ。憲法改正論議で戦争への道を開きたいなら、あんた、そのくらいのカネかけて世界を見てきな。勇ましいばかりじゃなにも解決しない、ってのがよくわかるよ。
いいかい、日本は戦争をすれば必ず負ける。
ということは9条を改正して戦争への道を開けば、日本はもっとひどいことになることは確実だ。経済も、雇用も、すべたが、だ。
ま、いいからボウヤ、自分のカネで、自分の足で、世界を見ておいで。話はそれからしたほうがいいんじゃないかね?
Rédigé par : F-Taro | samedi 07 mai 2005 à 07:21
>責任転嫁的に表現した結果、
>「タブー視された」という
>表現になったというだけで
>はないでしょうか?
左翼紙までも「タブー視されていた」と認めているのに、『責任転嫁』というのはおかしいでしょう。
Rédigé par : JSF | samedi 07 mai 2005 à 01:24
>栗栖長官が解任されたのは当然ですが、そこから憲法
>や有事法制の論議に発展する事が無かったのは何故で
>しょうか。栗栖氏が職を掛け提起したにも関らず、有
>事法制が出来たのは30年近く経ってからです。
日米安保体制のもと日本に外国軍が攻め込んでくる確率を高いものと認識していた国民が少なかったということと、当時は敗戦前の社会を実体験した人々がたくさん生き残っており軍の権限を強化するとろくなことにならないということを強く認識していたからでしょう(この世代の自民党系議員の鳩鷹度は、敗戦前にどのようなポジションにあったのかということが多分に影響しています。)。
Rédigé par : 小倉秀夫 | samedi 07 mai 2005 à 01:05
結局、憲法論議を仕掛けてみたけれども、ほとんどの国民からは相手にされず、一部のマスコミには厳しく批判されたという現象を被害妄想的あるいは責任転嫁的に表現した結果、「タブー視された」という表現になったというだけではないでしょうか?
「そのように憲法が改正されれば私たちは今より幸せになれそうだ」と多くの国民に信じさせることができるような案を作成したのに社会党などの護憲勢力が憲法論議自体をタブー視して議論自体をさせてもらえなかったというような状況は歴史的にはなかったようですね。
Rédigé par : 小倉秀夫 | samedi 07 mai 2005 à 00:56
栗栖長官が解任されたのは当然ですが、そこから憲法や有事法制の論議に発展する事が無かったのは何故でしょうか。栗栖氏が職を掛け提起したにも関らず、有事法制が出来たのは30年近く経ってからです。
実際問題、当時の自衛隊の置かれた環境では法律を無視して戦う以外に方法はありませんでした。戦車が公道を走れない・・・そんな状況で何が出来るのです?
結局のところ、当時は憲法どころか自衛隊を語る事すらタブー視されていたので交戦規定(ROE)すら制定できなかったのです。
>柿沢外相をたたく朝日新聞
その朝日新聞は当時、こんな論調でした。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01252/contents/055.htm
>タブー視されてきた「改憲」が、果たしてどこまで本格的な議論に発展するのか。
Rédigé par : JSF | vendredi 06 mai 2005 à 22:26
いざ“タブー視されていた風潮があった事のソース”を持って来いと言われると、確かに難しいですね。風潮、その時代の“空気”というのは証拠というものが明確に存在するわけではないですから。とりあえず当時の新聞の論調などで判断して頂ければと思います。
まずはGoogle検索で「"憲法" "タブー"」とand検索し、一番上に出てきたページより。
■1995/06/24 朝日新聞朝刊
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01252/contents/074.htm
九四年十一月三日、読売新聞は、自衛隊をきちんと位置づけた「憲法改正試案」を発表した。社説はこの点について「憲法改正論議と言えば、自衛隊違憲・合憲問題に限定され、憲法改正論議自体がタブー視されてきた」と書いた。
十一月二十三日、朝日新聞は「『とにかく改憲』を排する」と題する社説を掲載した。
------
読売と朝日はこんな感じです。読売の記事の詳細はこれです。
http://www.yomiuri.co.jp/teigen/1994/94syasetu.htm
■広島の地方紙、中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In04011801.html
粟屋氏が指摘するように、憲法論議そのものをタブー視する風潮は二十一世紀を迎えて弱まり、各種世論調査の結果にもその傾向が表れている。
------
リベラル色のかなり強い中国新聞でもそう認めているようです。
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20050503ddm010010054000c.html
>日本では憲法の議論が長年タブーだった。
これは民主党の枝野議員。
Rédigé par : JSF | vendredi 06 mai 2005 à 22:05
法令遵守義務を負っている国家公務員が「有事には自衛隊は超法規的行為をとらざるをえない」などということを公言すれば処分を受けるのは当然です。とくに、実力部隊の指揮官が法律に従わないことを公言した場合にこれを解任するのは、シビリアン・コントロールという点からも当然ですね。
柿沢外相の件についていえば、「朝日新聞社からボコボコにたたかれる=タブー」なんですか?としかいいようがないですね。政治家の言説が、それに賛同しない人々により手厳しく批判されるなんて、民主主義社会では当たり前のことだと私は思うのですが。
朝日新聞社からボコボコにたたかれたとしても、賛同者が多ければ、柿沢外相をたたく朝日新聞がボコボコにたたかれるだけであったところ、当時は、賛同者が少なかったというだけのように思われます。
賛同者が少なく、反対派から強い批判を浴びることと、そのことを論ずることが「タブー視」されているのとは、全く違うことなのに、JSFさんはこれを同視してしまっているのですね。
Rédigé par : 小倉秀夫 | vendredi 06 mai 2005 à 22:04
Inoueさん、「集団的自衛権の行使を違憲とする従来の政府の憲法解釈を再検討する必要」と説いた柿沢弘治外務大臣は“憲法改正、ないし解釈の議論をすべき”と説いているのですよ。
Rédigé par : JSF | vendredi 06 mai 2005 à 21:29
民意と政治を分断させたりくっつけてみたり、小倉さんの分析はちょっと都合が良すぎるかな、という感じがします。
個人的には国民の皆さんが興味なかっただけだと思いますけどね。特に不都合がなければ現状維持を望むものですし。
日本人全体と意識が融合していないのでわかりませんが。
Rédigé par : 無七志 | vendredi 06 mai 2005 à 21:27
JSFさん、防衛庁長官や外務大臣が「憲法にこだわらず軍事行動を行う」ことを示唆するのと、憲法改正議論をするのとはぜんぜん話が違いますよ。
現実に、日本国最大の暴力装置の指揮権をもっている官僚や、その行使に強い影響を与えうる大臣が、「憲法を守らない」と意思表明をすれば、罷免せざるをえなくなって当然ではありませんか。そもそも公務員には憲法遵守の義務があるのだから。
公務員が「憲法を守る意思がない」なんて言い出したら、現在でもNGです。「憲法改正の議論は」大いに結構。
Rédigé par : Inoue | vendredi 06 mai 2005 à 21:17
>横からすみませんさん
>ずいぶんと感情的というよりヒステリックなアジテーターのようですが。
ワザと狙ってやってみました、演出ですね。普段の私は「冷笑的な態度が問題だ」と旗旗の草加さんに指摘されるくらい冷めてる人のようです。
>見ていると、とにかく左翼・護憲派を持ち出しますね。
私なんかはまだまだです。
小倉氏は見ていると、とにかく「ネット右翼」「保守反動」を持ち出します。
保守反動・・・う~ん・・・古いタイプの共産主義者と話した時くらいしか聞かなかったですね、こんな言葉は・・・小倉氏のような職種では若い人も平気で使うのでしょうか?
Rédigé par : JSF | vendredi 06 mai 2005 à 21:17
小倉さん
>それこそ「ソース」がないですからね。
JETさんがその辺の事を既に指摘されていますので、引用しますね。
http://jetnonikki.cocolog-nifty.com/jet/2005/05/post_f055.html
>栗栖弘臣統幕議長は「有事には自衛隊は超法規的行為をとらざるをえない」、すなわち「今の憲法には不備があるんだ」と指摘しただけで解任された。朝鮮半島の緊張が高まり北朝鮮代表者が「ソウルを火の海にする」と発言した際に「集団的自衛権の行使を違憲とする従来の政府の憲法解釈を再検討する必要」を説いた柿沢弘治外務大臣は朝日新聞からボコボコに叩かれた。現在の我々から見れば、「あたり前の事をあたり前と言えない」時代だったのだ。
--------
当時はそう言う時代でした。
>小泉政権以前から連綿と憲法改正
>論議が行われ、いくつもの改正案
>が公表されてきたことは客観的な事実なのです
それらは国民が議論に全く参加できていませんでしたから。憲法改正が現実味を帯び、国民が議論に参加する状況が生まれたのは小泉政権後の事です。
それ以前は、一般国民が憲法改正について論じようとしたら平和の敵、悪魔の手先呼ばわりされていた、そんな時代だったのですよ。
>魅力に乏しかったので国民の多数から受け入れられなかった
いいえ、国民の目を改憲に向けさせなかった勢力の存在と、それを許してきた国民自身の責任です。
>思いこみたければ仕方がないですけどね。
タブー視される風潮の時代であった事は事実ですよ、それは誰に聞いてもそう答えるでしょうね。
そこで小倉氏、問題となるのは次の点です。
「60年間も憲法改正がなされなかった“最大の要因”は何なのか?」
小倉氏、貴方は「改憲案の魅力に乏しかった」のが最大の要因と言い、私は「タブー視されていた風潮なのでできなかった」のが最大の要因だというのが主張です。
どちらがより大きい要因だったか、という問題なのですよ小倉氏。
Rédigé par : JSF | vendredi 06 mai 2005 à 21:09
小倉先生にコメント削除された理由がわからないので、もう一度書きますが・・・(誹謗中傷などにあたるのでしょうか??)
これまで憲法改正がされなかったことは、護憲派と改憲派という意見市場において政治(国民)は改憲を支持してこなかった、ということを意味します。今後もし、憲法改正がされるということは、その意見市場の力関係が変わって政治(国民)が改憲を支持する、ということを意味します。
ですので改正されなかったことにせよ、今後改正されるにせよ、それがどっちのせいだ、という議論はあまり意味深くはない、といえるのではないでしょうか?
Rédigé par : wild56 | vendredi 06 mai 2005 à 12:30
>具体的な憲法改正の当否を主たる争点として選挙戦が戦われたわけではないですから。
ご返事ありがとうございます。
つまり、当選、不当選の基準になるほど注目されていなかったということですね。
では、なおさらあきれられていたというのが理解できません。選挙の評価基準にならない程度の私案に対して、小倉さんはどうやって国民の意思を確認したんですか?
そんな程度の私案、一般人は知りもしませんよ。
『そんな、小倉さんの主観を押しつけられても、それこそ「ソース」がないですからね。
いずれにせよ、』小倉さんが政治力学や、たとえ少数でも強固に反対して混乱させる過激派を無視している時点で、「意思表示もしていない国民の意思が受信できる素敵なアンテナ」をお持ちの小倉さんに意見するのが間違いなのですね。
意見の趣旨に対して答えるのではなく、一文に対してだけ答えるぐらいなら、いっそ無視してください。話が混乱するだけです(´・ω・`)
Rédigé par : 鈴 | vendredi 06 mai 2005 à 09:47
平田さんは学生さんですか?
自分たちの提示する改正案の方が国民をより幸せにするということを国民の大多数に対し説得できれば憲法改正ができる(いままで憲法改正ができなかったのはそのような説得ができなかったからである)ということのどこが「理想論」なのですか?
Rédigé par : 小倉秀夫 | vendredi 06 mai 2005 à 08:47
>政治の動きで見るなら、国民があきれるような私案を出
>す議員がどうして当選するんでしょうか。
具体的な憲法改正の当否を主たる争点として選挙戦が戦われたわけではないですから。
Rédigé par : 小倉秀夫 | vendredi 06 mai 2005 à 08:38
小倉さんがどのような方か判らないのでなんとも言い難いですが、
>他方、現行憲法の改正規定の下であっても、現行憲法下で生活するよりも一般の国民がもっと幸せになれそうな(中略)そのような改正案であれば国民投票で過半数の賛成を得られた可能性は十二分にありました。
このような100%の理想論を議論の根拠として持ってくることは如何なものかと思います。学生だとしたら今のうちにもっと色々な人たちと議論して世の中というものを見ることをお勧めします。既に社会人だとしたら実社会ではこのような議論は成立しないということは解っていてやっていると思いますので言っても無駄かと思いますが、敢て言わせていただきます。
ネットの世界では何でも言っていいという風潮があるのは否めませんが限度というものがあると思います。嫌なら見なければいいという意見はネット上ではよく言われることですが、つい見てしまったものを不快にするというのは許されるのでしょうか。道端にある犬の落し物に不快を感じて文句を言うことは間違ったことでしょうか。嫌なら違う道を歩けというのは飼い主の傲慢ではないでしょうか。
JSFさんという方は確かに少し偉そうですが言っている内容は議論の本質を突いていると思います。それに対してカラオケに行けとか、あきれるとかいう言葉を使い、さらには上記のような幼稚園児を諭すような理想論的な話を持ち出すのはあまり感心しません。
社会人だとしたら日頃の実社会での鬱憤晴らしでblogをやっているのかもしれませんので、それでもいいですが、学生だとしたらせっかくblogを自分から意見を言おうとして作ったわけですからもう少し人の意見に耳を傾けられたらいかがでしょうか。
Rédigé par : 平田 | vendredi 06 mai 2005 à 08:07
まず、国民投票もやってない、ちゃんとした世論調査も最近までやってないと思うんですけど、どうして国民はあきれていたって結論が出てくるのかがわかりません。
政治の動きで見るなら、国民があきれるような私案を出す議員がどうして当選するんでしょうか。
国民に選ばれる国会議員は国民にあきれられるようなことをしていれば落選するかと思いますが、『憲法改正論議は連綿と行われ、断続的に私案が公表されてきた』ということは、国民の間に反対やあきれが無かった(もしくは少なかった)証拠になるかと思います。
自民党内で私案が出されていたことをもって『タブー視されていた』のを否定なされてますが、改正に反対する人は社会党あたりやメディア、法曹界に多かったと思うので、自民党の部会内への影響力は弱いかと。
タブーで検索したらはてなダイアリーが引っかかったので、それから引用します。『特定のコミュニティではやってはいけない、触れてはいけない、話題にしてはいけないとされていること。禁忌。』
タブー視とは、この場合、「反対派の影響力のある場所において、改正の議論および意思表示をすること事態を非難される」状態と考えます。
それで、それをよく表してる言葉がこれ。
『憲法改悪(改正)反対!』
特定の改正案にではなく、改正(改悪)そのものに反対してますね。
つまり、反対派の影響力が強いうちは議論することも否定されますが、反対派の影響力が弱まれば議論自体は動きやすくなる、と言えるかと思います。
はてなダイアリーから引っ張ってきたのは失敗だったかな・・・大丈夫ですよね(´・ω・`)?
Rédigé par : 鈴 | vendredi 06 mai 2005 à 03:27