ブログにおける発言(エントリー、コメントを含む。)の匿名性をどの程度まで保障すべきかという問題を考えるに当たっては、様々な対立する利害を考慮す ることが要求されます。
既に顕在化している利害関係者だけでも、
- 発言者
- 被害者(注1)
- ブログ主
- ブログ事業者
- 発信者側のアクセスプロバイダ
等がいます。今の発言者の利益だけを優先させても、他の関係者の利益が不当に害されるとき、そのシステムは長く続かなくなる可能性が高くなります。
以上を前提に、ブログにおける発言の匿名性が完全に守られ、発言者がその発言による法的責任を現実には一切負わされることがないシステムを考えてみましょう。
このシステムはさらに、
- 匿名の発言により第三者が損害を被った場合に、当該発言を公衆に伝播した者(ブログ主、ブログ事業者、発言者側のアクセスプロバイダ)に法 的責任を負わせるシステム
- 匿名の発言により第三者が損害を被った場合、当該第三者にこの損害を甘受することを強いることを強いるシステム
に大別されます。
我が国では、上記2のシステムを支持する見解がネット上では多数を占めているように見えます。
では、上記2のシステムは、その善意の支持者が期待するようなプラスの効果を社会にもたらすのでしょうか。
上記2のシステムのもとでは、現実社会における自分と結びつく情報をネット上で開示しない限り、悪意に満ちた誹謗中傷活動を行うことのリスクが0になり
ます。他方、現実社会における自分と結びつく情報をネット上で開示することは、匿名発言者による果てしない誹謗中傷を受けるリスクを負うことになります
(なにしろ、自分を誹謗中傷する側も原則リスク0なのです。)。
したがって、合理的に行動する限りにおいては、自分の個人的な経験・知見を語ったり、自分の専門知識を開陳したりする等の「現実社会における自分と結び
つく情報をネット上で開示する」という行動は回避されることになります。これに対し、他人のコメントを批判したり、他人を人格攻撃することに終始する発言
は、そこに「現実社会における自分と結びつく情報」が通常結びつくことはないため、逆に匿名発言者による果てしない誹謗中傷を受け、現実社会でダメージを
受けるリスクを負わないことになります。
また、このシステムのもとでは、「簡単にスイッチが入ってしまう人々」を刺激するような内容をアップロードすることはブログ運営にとっては致命的となり
ます。なにせ、悪意に満ちた誹謗中傷活動を行うことのリスク、他人のブログに悪意のコメントを連日大量に投稿してそのブログを汚し尽くすリスクが0なので
す。したがって、このシステムのもとでは、悪意に満ちた低レベルのコメントでブログを汚されることを甘受するか、ブログの持つ双方向コミュニケーション性
を放棄してコメント欄を閉じるか、または「簡単にスイッチが入ってしまう人々」を刺激しないような「無難な発言」に終始するかという選択を迫られることに
なります(注2)。そして、「簡単にスイッチが入ってしまう人々」が刺激されるポイントにある種の傾向がある場合、ある種
の傾向にある言説をブログで語るということは、ブログ自体が機能不全に陥らされるリスクを高めることになり、多くの人がそれを望まない場合、その種の言説
は、ブログ上では語られにくくなります。
すると、このシステムは、言論活動の自由、表現の自由に最大限の配慮をしたはずが、却って、有益な表現を過度に萎縮させ、有害無益な表現を助長すること になる危険が高いと言えそうです。特に、このシステムでは、一般社会の常識に反するが故に現実社会では語られにくい言説は匿名性故に語られやすくなる反 面、「簡単にスイッチが入ってしまう人々」を刺激する言説は相当の覚悟がなければ語られにくくなるということがいえそうです。
(注1)
発言者による批判、非難、誹謗中傷などの矛先をとりあえず「被害者」と呼びます。
(注2)
「言いがかり」というのはいつまでも延々と続けることができる(そもそも相手方の言説を正しく理解する必要がないのですから、相手の言説を自分が理解し
やすいように組み替えた上で自分の価値観のみを根拠としてけちを付ければいいのですから)ので、「対抗言論を行使することにより悪意の誹謗中傷を止めさせ
る」ということは基本的に期待しない方がよいと言うことができます。しばしば「最初の対処が正しければ荒らされない」というふうにいわれることがあります
が、そこでいわれる「正しい対応」の大部分は、単に「荒らされることを避けるために、言いがかりに対して屈服してみせた」というものにすぎません。
ISEDでたぶん小倉先生とご一緒する、グローコム研究部長の東浩紀氏による匿名性の擁護論を紹介しておきます。
http://biblia.hp.infoseek.co.jp/b/jr0305.htm
「匿名であるからこそ、人はたがいの交換可能性を想像でき」、「皆バラバラなんだけどそれでも平等」なのだという感覚を生じさせる条件となるのが匿名性なのだ」、と東氏は論じている。
対談を楽しみにしております。
Rédigé par : 中井亀之助 | vendredi 20 mai 2005 à 19:58
自分を批判する相手が「実名」だった場合と「匿名」だった場合を比較してみると、
1.「実名」の相手から(看過できない不法行為に相当する)誹謗中傷を受けた場合
2.「匿名」の相手から(看過できない不法行為に相当する)誹謗中傷を受けた場合
->相手を裁判に訴える
どっちにしても裁判に訴える事になりそうです。
では、「正等な批判」を受けた場合はどうでしょう。
3.「実名」の相手から(正等な)批判を受けた場合
4.「匿名」の相手から(正等な)批判を受けた場合
上記3と4とで批判を受けた当事者のリアクションが何か変わりますか?4のケースが、3のケースに比べて特に不都合がある事を証明していただかないと、小倉さんの主張には論理的な根拠が無いという事になりませんか?
Rédigé par : J2 | jeudi 19 mai 2005 à 23:46
実は小倉先生がまさしく危惧されているような事例と思われるトラブルがネット上であり、このような場合、どのように対処すべきか、参考までにご意見を伺えればと思います。
http://d.hatena.ne.jp/plummet/20050519/p2
上記URLはトラブルの解説サイトですが、某フリーのブログサービス上において個人情報(氏名・住所)が悪意をもって掲載され、それをブログサービス会社に苦情を申し立てたところ、個人情報の削除まで一週間かかると言われた挙句、その個人情報を掲載した相手に対しては何の処置も行われなかった、という事例が載っています。
このような場合、技術的・法的にはどのような対処が考えられますでしょうか。
あまり詳細な解説は先生にもご迷惑だと思いますので、簡単にお教えいただけたらと思います。
Rédigé par : 手先 | jeudi 19 mai 2005 à 22:24
システムのことは抜きにしますと、本エントリは「簡単にスイッチが入ってしまう人々」の「言いがかり」に関する見事な考察になっており、結果として「対抗言論を行使することにより悪意の誹謗中傷を止めさせる」ことができたという貴重な事例となっているのではないでしょうか。さすが先生(皮肉ではないです)。
Rédigé par : 佐藤 | jeudi 19 mai 2005 à 19:14
匿名の方にばかり話が行っていますが、小倉先生は名前・住所を開示した人間ならば削除・無視を行わずに質問に答えたり、議論をすると考えて良いのでしょうか?
Rédigé par : ク田ハヽヽトロ | mercredi 18 mai 2005 à 17:25
そうですね、思考実験としては興味深いですが、以下の二つの点を指摘させていただきます。
現実には「完全な匿名性」ということは難しいということ。
難しいというよりは正確には「いったいどのような情報が普通にアクセスすると流れているのか、世間一般のほとんどは無頓着だ」と言うべきでしょうか。この辺はITに強い小倉弁護士の方がよくご存知でしょう。
もうひとつは、自ら「完全なる匿名性」を放棄している者にはそれ以降の議論はまったく当てはまらないこと、です。
このエントリで論じられている前提は実は二点、1)完全なる匿名性が確立し2)それを悪用して誰かが別の誰かに損害を与えた場合、です。
損害に関しては客観的にあからさまな実害から思い込みの被害妄想まで様々ですので論じるのは避けますが、「完全なる匿名性」の放棄は簡単にできると思います。
逆に言えばblogのコメント欄などの場合、「完全なる匿名性の放棄」さえコメント者に同意してもらえば、実名書き込み等あやふやな言質を取らなくても、ここで論じられているようなことは避けられるということです。
このエントリからこのような結論が導けましたが、如何でしょう?
Rédigé par : 手先 | mercredi 18 mai 2005 à 15:37
愚なる私には理解出来ない部分も有り、要点を纏めて貰えれば有り難い所です。
匿名性が持つメリットとデメリットに関しては、多様な意見があるとは思いますが、デメリット等無いと言う暴論を主張する人がそう多く居る訳でもないと思っています。
そういう意味で言えば今回提示された「ブログにおける発言の匿名性が完全に守られ、発言者がその発言による法的責任を現実には一切負わされることがないシステム」と言うのは現実味を帯びていない極論では無いか?とさえ思えます。
発言者側が自ら不特定多数に対して公開し、コメントを受け付けるシステムを持つブログ等を利用している場合に関して言えば、不特定多数の意見を聞く体制になっていると解釈しても良いのでは無いかと思いますし、ブログというものはその様な機能を追及したものだと思っています。
よって、そのコメント欄にて発言者とコミュニケーションを取る事自体が悪ではなく、その内容により善悪が決められるべきです。(何が善悪かと言う議論は有りますが、今回の主目的ではないと思います。)
人間は感情に左右される生き物です。第三者から見ても「悪意」の無いエントリーやコメントが読む側に「悪意」が有ると取られる可能性も有ります。
そのリスクを負っても発言したいと考える人間に「非匿名性(実名性と言うべきか?)」が必要であるなら、匿名性の暗部に対する批判だけでなく、これからのネット社会の有り方に専門家として一般人に前向きに示唆して頂けると有り難いのです。
私のスイッチは初期のTVのスイッチの様な物だと思ってます。
Rédigé par : 月下獨酌 | mercredi 18 mai 2005 à 14:39
>匿名の発言により第三者が損害を被った場合
この損害という言い方が、不明確に感じられます。誹謗中傷・プライバシー問題以外に「被害にあう」状況、がブログであるのかどうか。
○ 先生の意見はこう間違っている
○ 先生の上げた証拠はこう誤読されている
○ 先生がここでいったことと、前に言ったことが矛盾している
○ 先生のコメント欄の運営(削除の恣意性)はおかしい
○ 先生の物言いは感情的であり差別的である
まあコメントを読んでおりますと、こうした意見が右から左から寄せられております。(コメントジャブ?)
ひとつひとつのコメントは被害をもたらさない(蚊にさされた程度)にしても、ここまで多勢に無勢だと、それは一種の被害と同じだよ(コメントボディーブロー?)、なんとかしてくれ。(コメントダッキング?)
先生はそうお感じになっていらしゃるのでしょうか?
Rédigé par : 中井亀之助 | mercredi 18 mai 2005 à 13:05
申し訳ありませんが補足させて下さい。
少し前に「募金パーク」というクリック募金サイトで、批判者の実名をwww上に「犯罪者」としてさらし者にしたという事件がありまして、私はそれをリアルタイムで見ておりました。
http://www.geocities.jp/collect_bp/
の「募金パーク内における個人情報掲載(信用毀損業務妨害について)に関する経緯」
http://www.geocities.jp/collect_bp/personal_data.html
法的に訴えられないからといってこういった短絡的憂さ晴らし行為を行うような人物が居る現実をまず認識なさった上で、専門家としての見識をお聞きしたく、こうして追記させていただきます。
Rédigé par : もみ。 | mercredi 18 mai 2005 à 12:55
現在の環境を考えると
1 匿名の発言により第三者が損害を被った場合に、当該発言を公衆に伝播した者(ブログ主、ブログ事業者、発言者側のアクセスプロバイダ)に法的責任を負わせるシステム
であるが故に、「悪意に満ちた誹謗中傷活動を行う」ような人物が「当該発言を公衆に伝播した者」の契約者の中に居た場合、ブログ記事の削除を求めたりブログ自体を提供側で削除したり、プロバイダーは警告メールを出したり最悪契約解除したり出来る訳ですから、「悪意に満ちた誹謗中傷活動を行う」ような人物のリスクが0だという事は無いでしょう。
「悪意に満ちた誹謗中傷活動」が我慢の限界を超え、心身を損なう事になったり名誉毀損行為に当たると判断したのなら、法的措置を取れば相手の情報は、現状でも解る訳ですよね。
小倉先生はご存知無いかもしれませんが、世の中には「被害妄想」の持ち主というのも存在する訳でして、一般的に見て「そりゃ相手の話を悪く取りすぎだろう」というような「意見」「反論」ですらも「非難」「誹謗中傷」「攻撃」等と受け取る人が居る現在、誰でも簡単に「発言者の身元を確認出来る=それを盾に何かしらの要求を相手に強要する」ような事態になりかねないシステムには、やはり疑問を感じます。
現在のように、間にプロバイダー等の第三者がワンクッション入っている方が、健全性を保てるのではないでしょうか。
何故か前記事に投稿した物が削除されていますのでもう一度書かせていただきますが、私は「本気で訴訟を起こす気の人間だけが相手の個人情報に行きつく事が出来る」くらいのハードルがある現状の方が安心出来ます。
所で個人情報保護の観点との兼ね合い等の専門家としてのご意見はお聞かせ願えないのでしょうか?
Rédigé par : もみ。 | mercredi 18 mai 2005 à 12:29
「上記2のシステム」の具体的内容が不明確ですので、何を言ってもすれちがいか言いがかりになってしまいますから、具体的内容についての論評を控えざるを得ません。
Rédigé par : 佐藤 | mercredi 18 mai 2005 à 12:06