ブログにおける実名・匿名論争が活発に行われています。
しかし、匿名論者にかけているのは、では、匿名ブロガー・コメンテーターが現在引き起こしている数々の弊害をどのように除去するのかという提案です。
「インターネットというのは卑怯者たちの聖地であるべきだから、卑怯者たちによって様々な害悪が引き起こされても被害者たちはひたすら堪え忍びなさい、 もしなんなら被害者たちも卑怯者になって他人に迷惑をかけてストレスを発散すればいいではないか」とのお考えの方々がそのような提案をしないことは理解で きます。
しかし、そうでないのであれば、何らかの具体策を提案すべきです。
匿名の卑怯者たちによる罵詈雑言が自分のブログのコメント欄に執拗に投稿されても耐えられるような強い心根の持主しか、匿名の卑怯者たちを刺激しかねな い話題に触れることができないという現状は、はっきり言って異常です。匿名の卑怯者たちが事実上の検閲を行ってしまっているといえます。この事実上の検閲 は、これに引っかかったからと言って、不快なコメントが毎日のような大量に押し寄せてくるという程度しか制裁が加えられないという意味では国家権力による 検閲よりは緩やかなものですが、誰もその峻別基準に責任を持たず、実際、一般社会では許容範囲内にある言動がしばしば事実上の検閲の対象となってしまって いるという意味では、最悪のものです。そのような検閲のもとで発言をすることに耐えられない人々は、既にブログを撤退してmixi等に逃れたり、ブログを 立ち上げることに躊躇してしまっています(実際、有益なコンテンツをアップロードできそうな友人にブログの立ち上げを勧めたところ、ああいう気持ちの悪い 連中が毎日のように押し寄せてくるのに自分は耐えられないといって断られた例はあります。)。
その結果、日本のブログ環境は、どんどん悪貨が良貨を駆逐し始めています。何人のブロガーが、低レベルのコメントの執拗な投稿に嫌気がさして、質の高い エントリーの投稿を断念し続けたことでしょう。何人のブロガーが、低レベルのコメントの執拗な投稿に嫌気がさして、コメント欄を閉じていったことでしょ う。これらの現象は、負の情念のはけ口をネガティブポスティングに求めている人たちをさぞ満足させたことでしょう。しかし、彼らが達成感を得て一瞬清々し た気持ちになったということの代償は極めて大きいと言わざるを得ません。「匿名性を維持するべき」とする論者は、この現実に目を閉ざすべきではありませ ん。
「対抗言論」ですか?
「論破されて黙る」というのは、「恥」という概念が残っている場合にのみ有効なのであって、匿名の陰に隠れることによって「恥」を書き捨ててしまってい る卑怯系コメンテーターが論破されて黙るという事態は、比較的希なのではないかと思っています。それに、それなりに忙しい社会生活の中の貴重な時間を割い てブログを維持・管理している人々(有益なコンテンツを提供できる人には多忙な人が少なくありません。)が、卑怯系コメンテーターによる低レベルコメント に逐一「対抗言論」を行使していられるかというと、それは無理だとしか言いようがありません。そういう「だだっ子」的な要求をブログ主に要求してしまって いるうちは、日本のブログの質的な向上は難しいのではないかと思います。
しかし、匿名論者にかけているのは、では、匿名ブロガー・コメンテーターが現在引き起こしている数々の弊害をどのように除去するのかという提案です。
「インターネットというのは卑怯者たちの聖地であるべきだから、卑怯者たちによって様々な害悪が引き起こされても被害者たちはひたすら堪え忍びなさい、 もしなんなら被害者たちも卑怯者になって他人に迷惑をかけてストレスを発散すればいいではないか」とのお考えの方々がそのような提案をしないことは理解で きます。
しかし、そうでないのであれば、何らかの具体策を提案すべきです。
匿名の卑怯者たちによる罵詈雑言が自分のブログのコメント欄に執拗に投稿されても耐えられるような強い心根の持主しか、匿名の卑怯者たちを刺激しかねな い話題に触れることができないという現状は、はっきり言って異常です。匿名の卑怯者たちが事実上の検閲を行ってしまっているといえます。この事実上の検閲 は、これに引っかかったからと言って、不快なコメントが毎日のような大量に押し寄せてくるという程度しか制裁が加えられないという意味では国家権力による 検閲よりは緩やかなものですが、誰もその峻別基準に責任を持たず、実際、一般社会では許容範囲内にある言動がしばしば事実上の検閲の対象となってしまって いるという意味では、最悪のものです。そのような検閲のもとで発言をすることに耐えられない人々は、既にブログを撤退してmixi等に逃れたり、ブログを 立ち上げることに躊躇してしまっています(実際、有益なコンテンツをアップロードできそうな友人にブログの立ち上げを勧めたところ、ああいう気持ちの悪い 連中が毎日のように押し寄せてくるのに自分は耐えられないといって断られた例はあります。)。
その結果、日本のブログ環境は、どんどん悪貨が良貨を駆逐し始めています。何人のブロガーが、低レベルのコメントの執拗な投稿に嫌気がさして、質の高い エントリーの投稿を断念し続けたことでしょう。何人のブロガーが、低レベルのコメントの執拗な投稿に嫌気がさして、コメント欄を閉じていったことでしょ う。これらの現象は、負の情念のはけ口をネガティブポスティングに求めている人たちをさぞ満足させたことでしょう。しかし、彼らが達成感を得て一瞬清々し た気持ちになったということの代償は極めて大きいと言わざるを得ません。「匿名性を維持するべき」とする論者は、この現実に目を閉ざすべきではありませ ん。
「対抗言論」ですか?
「論破されて黙る」というのは、「恥」という概念が残っている場合にのみ有効なのであって、匿名の陰に隠れることによって「恥」を書き捨ててしまってい る卑怯系コメンテーターが論破されて黙るという事態は、比較的希なのではないかと思っています。それに、それなりに忙しい社会生活の中の貴重な時間を割い てブログを維持・管理している人々(有益なコンテンツを提供できる人には多忙な人が少なくありません。)が、卑怯系コメンテーターによる低レベルコメント に逐一「対抗言論」を行使していられるかというと、それは無理だとしか言いようがありません。そういう「だだっ子」的な要求をブログ主に要求してしまって いるうちは、日本のブログの質的な向上は難しいのではないかと思います。
> 「論破されて黙る」というのは、「恥」という概念が残っている場合にのみ有効なのであって、匿名の陰に隠れることによって「恥」を書き捨ててしまっている卑怯系コメンテーターが論破されて黙るという事態は、比較的希なのではないかと思っています。
取り敢えず一度でも論破してみせてからおっしゃる事をお勧めします。
>それなりに忙しい社会生活の中の貴重な時間を割いてブログを維持・管理している人々(有益なコンテンツを提供できる人には多忙な人が少なくありません。)が、卑怯系コメンテーターによる低レベルコメントに逐一「対抗言論」を行使していられるかというと、それは無理だとしか言いようがありません。
自分に都合の悪いコメントをいちいち峻別して削除している「ヒマなブロガー」には当てはまりませんね。
>そういう「だだっ子」的な要求をブログ主に要求してしまっているうちは、日本のブログの質的な向上は難しいのではないかと思います。
そういう「だだっ子」的な要求をコメンターに要求してしまっているうちは、日本のブログの質的な向上は難しいのではないかと思います。
Rédigé par : もみ。 | jeudi 26 mai 2005 à 10:38