諸事情があって少し別館の更新が滞っている間に、「ネット右翼などいない」と言っていた若隠居氏のブログが「ネット右翼」のコメントスクラムにあって閉鎖されてしまいました。それ以外にも、コメントスクラムにあってしまって、コメント欄を閉じてしまったり、ブログ自体を閉鎖してしまったりしたブログがいくつもあるようです。松沢知事のところは、今のところぐっと堪え忍ぶ路線をとっているようですが、そのおかげで、「有害ゲーム」関係以外で松沢知事と意見交換を行うのはちょっと憚られる状態になってしまった感があります。
「有害ゲーム」規制の関係では、松沢知事がブログのコメント欄に付けられたコメントに「誠実に回答」したところでコメンテータの方々が納得することはないでしょうし、また、知事もまたそれらのコメントを見た上でなおもその見解を維持しているのですから、今後いくら同じようなコメントをそのブログにぶつけられたとしても、考えを変えることは先ず期待できないでしょう。
そういう意味で、「これ以上議論を続けていても、お互いに相手を説得できないことが明らかになる」ということは世の中にはよくあることです。一応意見を一本化しなければならない場合には、ある程度のところで議論を打ち切って所定のルールに従って採決したりするわけです(そのような採決ルールに従うことを論争当事者間に強要できない場合は、その問題について意見が一本化されていることを前提とするものは諦めることになります。)。
いずれにせよ、議論の相手方が反論しなくなるまで延々と議論を続けるということは、ごく例外的な場合を除けば、一般社会ではほとんど行われていないのが実情です。
他方、ネット上での「論破」というのは、社会一般における「論破」という言葉の意味とは異なり、「議論の相手方から議論を継続する意思を奪うこと」程度の意味で用いられることが多いようです。
そのような意味における「論破」を目指す「議論」においては、匿名性の陰に隠れることによって羞恥心を麻痺させることができ、かつ、議論の相手方よりもネットでの「論争」に費やすことができる時間(複数人で共同して特定の相手方と「議論」をしている場合は当該複数人がネットでの「論争」に費やすことができる時間の総計)が相手方のそれを圧倒しているととても有利です。
ただ、そういう論法が通用するのは、ほとんどネット上での「議論」に限定されます(どの意見を残すかによって現実社会での利益の得喪等に大きな影響を及ぼしかねない問題について、「より暇な人」が有利となるルールを適用するのはある意味自殺行為ですし、「より暇でより羞恥心を欠く人が唱え続けている」ということは学問的な意味においても正しさを保証する要素ではないからです。)。
だから、「ネット上の世論」と現実社会での世論とがしばしば乖離するのはある意味当然であるといえます。ネット上では匿名性が保障されているから人々が本音を言えるようになった結果「建前中心の現実社会」と世論が乖離するのではなく、ネット上では「失うものがより少ない人」に有利なルールがしばしば適用されている結果、現実社会では受け入れられがたい見解が生き残りやすく、それ故、現実社会の世論とは乖離した見解がネット上で支持されているかのように見えるのです(また、「ネット右翼」さんのソース主義が、「インターネット上で無償で提供されている(合法性の有無を問わない)情報にほぼ限られ、またそれで足りるという程度のものであることが、しばしば「デマゴーグの既成事実化」を生み出し、現実社会の世論と乖離させることになっていくのですが。例えば、教育機関に対する地方公共団体への補助金の支払いが憲法第89条に違反するか否かを判断するにあたって、補助金の支払い対象が「一条校」か否かを過大に重視する見解を前提とするコメントスクラムがある地方自治体議員のブログで行われていたようですが、「ソース」を紙ベースの資料にまで拡張していけば、憲法89条にいう「公の支配」性の意義等並びに関連判例を調べて、上記前提が正しいのか否かを知ることができたようには思うのです。)。
>Мышкинさん
コメントをつけようにも、「『コメントスクラム』なる人がたくさん来てるから議論はしない!あんたの反論はあんたが一方的に言ってるだけだから知ったこっちゃない」の一点張りな人がいる限り、それこそ同じ事を延々と書くしかなくなるわけで。
とりあえずうちの場合は、小倉弁護士さんも「第三者機関の判定」が欲しいみたいなので、「こんな無茶苦茶なデマや法的におかしいこと流してる弁護士さんが居ますよー、いいんですかー?」と東京弁護士会に連絡取ってる所なので、しばらくはコメントしないと思います。はい。
Rédigé par : 朱 苗牟 | dimanche 14 août 2005 à 15:17
私は引用以外で「シミン」などという言葉を用いたことはないですね。Au Revoir
それにしても最近はここでコメントをつける人もめっきり少なくなりました。もう旬を過ぎたのでしょうか。
Rédigé par : Мышкин | samedi 13 août 2005 à 22:04
随分話が飛んでいるような・・・?。
論点をまとめると
1,コメントが大量に投下される現象の定義とは。
2,コメント大量投下現象のきっかけは何なのか。
3,コメンターに共通点、共通の思想的背景があるかどうか。
4,コメント大量投下現象は適切な対処によって収まるのかどうか。
5,若隠居氏、松沢知事のブログの事例はそれぞれ1~4の観点で言うとどうか。
6,ネット上での議論というものについて思うことを自由に。
このあたりでしょうか。
Rédigé par : りんご | samedi 13 août 2005 à 21:45
せめてシミンうんぬんの言い訳ぐらいは聞かせて欲しかったなぁ。
性質の悪い子どものいい訳みたいなことやって、答えに詰まったら決め付けですか。なんだかなぁ。
Rédigé par : トニオ | samedi 13 août 2005 à 20:41
>私にはどうも、トニオ氏は「自分が正しいという事を前提として」語っているような気がしていたのです。
そう言う側面はあるでしょうね。
>相手にわざわざ言う必要はない。なぜなら(略)自分の意見を相手と一致させる必要は無い。なぜなら(略)であり、一致しないのは相手が間違っているから。
とおっしゃられているようなところが、12, 2005 11:40 PM で私が引用した辺りから読み取れますし。
要するにМышкин側とのコンセンサス(意見の一致)をとる前に、トニオ側では結論が出終わっていて、小倉さん言うところの「ネット上の世論」は完成しました、という状況なのでしょうね。しかし、実態はコンセンサスを取る前に自己完結しているだけであり、あらゆる意味で世論とは言いがたいわけで。
そりゃあ『現実世界の世論と乖離するのはある意味当然』どころか、乖離するに決まってる。
ネットとか一般とかじゃなくて、
世論と議論ではない――議論に乗せていない自分の意見を同列に並べてはいけない、と。
生き残っていること=支持されているとは限らない。ちゃんと読んでデマや駄文を真に受けないようにするリテラシー能力もそこには必要ではないのかと。
現実社会で受け入れられないようなもんをネットだという理由で、生き残っているという理由だけで受け入れるのはバカだ、とそういう考えはレアなんだろうか…orz
Rédigé par : サスケット | samedi 13 août 2005 à 02:38
>サスケット氏
それは…もしかしたて私が感じていた予感と関係あるのでしょうか。
私にはどうも、トニオ氏は「自分が正しいという事を前提として」語っているような気がしていたのです。そうして見ていくと
>「公共」という言葉が、何故か自分の周囲限定ですし。
自分の語の運用は公共性を有する。なぜなら「自分は正しい」から。自分の周りだけで確かめられれば確認作業も十分である。なぜなら「自分は正しい」から。当然未確認の他の人も同意するはずである。なぜなら(略)。同意しないのは相手が誤読している。なぜなら(略)
>、「相手に言わない」「自分の意見を相手と一致させない」と明示されている状況では、相手にするだけ不毛だと思われますよ。
相手にわざわざ言う必要はない。なぜなら(略)自分の意見を相手と一致させる必要は無い。なぜなら(略)であり、一致しないのは相手が間違っているから。
そして、議論とは正しい自分に同意しない愚民どもが、正しい私の理論(?)に論破され平伏してゆくプロセスである。私の意見に間違いなどありえない。なぜなら(略)私に異論を唱える輩こそが間違えている。私の記述に失敗もありえない。なぜなら(略)私の記述にけちをつけるのは相手が誤読しているに違いない。
ゆえに。
いつまでたってもその間違いを認めず、私に屈服しないような奴等は知能障害をおこしているのか、必死に詭弁をろうしているのか、そういった類でしかない。ゆえに奴等が行っているのは「議論ではない」
確かにこうしてゆくと一応の説明はつきそうなのですが…これではあまりに…
議論において誰しも、自らが正しいと主張します。しかしそれは「自分が正しいということを前提に」語るのではなく、自らの主張を維持し、また相手を論破するなどして、「結論において」自分の主張が正しかったと帰結することを目指す、という意味であり、決して前提するわけではないのですが…
Rédigé par : Мышкин | samedi 13 août 2005 à 01:41
あー、胃がもたれてるのに、たわ言聞きたくないなぁ。
>だとすればその公共性では個別の議論には不十分であり、ゆえに適宜細かい定義の絞込みが必要になるはずです以下
はて?貴方の言っていた定義うんぬんは細かい定義のことなんですか?「ネット右翼とは何か?」じゃなくて、「この場合において、ネット右翼は何か?」なんですか?じゃあ、あの人のコメント欄にいたような人達、で何か問題があるんですか?それが何でJSFさんへの皮肉になるかはJSFさんに聞いてくださいよ。記憶力が良ければ憶えてるはずだから。
>どこをどう読めば厭味に使える語なのでしょう
貴方の知らないコンテクストがあるんですけど。
しかし、広義の意味の話が狭義の意味の話に化けたり、シミンうんぬんをすっとぼけたり、ひどいですなぁ。
>朱 苗牟さん
>「そういうエントリ」というのは「どういうエントリ」でしょうか。
「ネット右翼」の皆さんの好きそうなヤツですよ。
>そしてそう決めつける「根拠」もはっきりと明示願います。
ふむ、貴方はコメントスクラムの参加者なんでしょうか?
>何度書き込みしても無視したり論点がずれてるから「同じ事」しか言えないような気がするのですが。
普通議論の場なんだから論点の追い込みかたはあるし、根拠の並べ方はあるでしょう。
>「同じようなことしか言わない人」って、誰なんでしょうね。
さてね?まあ、すっとぼけるのはお互い得意でしょう。
>「公共」という言葉が、何故か自分の周囲限定ですし。
ふむ、Мышкинさんだけは世間で僕の周りは世間じゃないのか。さすが、勉強になるなぁ。
>相手との間で一致させる(=コンセンサスをとる)行為が不毛で無駄だと断言している。
「プロ市民」なんて自分で使っといて「シミン」の意味をすっとぼける相手の態度の不誠実さはまったく無視ですか。なんだかなぁ。
っていうか、さっきと同じことしゃべってません?
Rédigé par : トニオ | samedi 13 août 2005 à 00:34
>自身が語の定義として引用した文と、自身の語の運用の仕方が違うというのはほとんど致命的です。こうなりますと、サスケット氏の言うリテラシーが必要かもしれません。
んー。今回の場合もっと致命的なところがありますからね。
よろしいですかМышкинさん。覚悟はよろしいですなМышкинさん?
>~そしてそれらは互いに「一学説」にすぎなくなるわけです。私はこれをもって、公共性など無いと言ったのです。
こんなこと言ったのが泣きたくなるくらい簡単ですけど嘆くなー(笑)
>公共性なく勝手にそんなことをやられてはその言葉は定義する人の分だけ意味が存在してしまい、結局何も意味しなくなっちゃうんですが。
>いや、少なくとも僕の周り程度ではコンセンサスは得られています。
「公共」という言葉が、何故か自分の周囲限定ですし。
>言葉の公共性を否定する人とコンセンサスをとろうとするのが不毛だなぁ。というか、なんとなく僕らの文脈でこう使ってるんだけど、っていうのを一切解そうとしないのがまともな議論なのかなぁ。
>分かってるのにすっとぼけて、何言っても否認しようとしてる人相手に解釈を話すだけ無駄でしょう。
公共と自称してすっとぼけてはいますが、「自分の周囲」限定の文脈を、相手との間で一致させる(=コンセンサスをとる)行為が不毛で無駄だと断言している。
単に議論と言っても様様な規模がありますが、「相手に言わない」「自分の意見を相手と一致させない」と明示されている状況では、相手にするだけ不毛だと思われますよ。
だって聞いてないし言わないって言ってるんですから(笑)
小倉さんのエントリの中で
> 他方、ネット上での「論破」というのは、社会一般における「論破」という言葉の意味とは異なり、「議論の相手方から議論を継続する意思を奪うこと」程度の意味で用いられることが多いようです。
とありますが、正直致命的なのはこういう「議論をするわけではない」という状況撹乱を行う状況のほうが致命的ではないかと思うのですよね。
単に返答をしない、参加しないと言う意味合いでの「議論をするわけではない」だとか、なら良いのですが(ex.松沢ブログ)
・相手の話を聞かない意味合いでの「議論をするわけではない」
・場を荒らすだけの「議論をするわけではない」
等といったやり口――確かにこの手口の場合匿名のほうが多いが――の場合、議論が成り立ちません。そりゃそうだ、議論してないんだから(笑)
「論破」=「議論の相手方から議論を継続する意思を奪うこと」ではありえない(あってはいけない)わけで。
論破=議論をして相手の説を言い負かすことですが、もしそれ足りえるためには説を述べ、説を聞いてもらわないと話にならない。
ネットでの「論争」を有用にする場合、匿名であるからと言う理由で排除するのではなく、「議論してない上にジャマなだけ」という主体を排除する方向に管理側、参加側も考えていかなければいけないのではないかな、と。ま、参加側には排除する権利がないことのほうが多いので、まず相手にしないと言うところですかね。
小倉さんは『ネット上では匿名性が保障されているから人々が本音を言えるようになった結果「建前中心の現実社会」と世論が乖離する』と述べていますが、
わたしゃ、そんな排除されるべき人間の意見を真面目に聞いたりしないので(笑)
ま、排除されるべき匿名の(てゆか匿名である必要はないが)人間の意見を「世論」などと誤認しないようにしなければいけないのではないかと。
ま、管理側が「議論してない上にジャマなだけ」な人だったら正直どうにもならんのですが(苦笑)
Rédigé par : サスケット | vendredi 12 août 2005 à 23:40
>トニオさん
>>いわゆる「あいつらなんかと一緒にするな」と い う の と は 違 う 意 味 で、「若隠居氏のブログが閉鎖」だの「ネット右翼」がどうだの、という問題と一緒くたにされても困るわけで。
>というか、そういうエントリなんだから一緒にされてもしょうがないし、さっきも言いましたが「私とだけお話しましょう」というわけにはいかないでしょう。
「そういうエントリ」というのは「どういうエントリ」でしょうか。
そしてそう決めつける「根拠」もはっきりと明示願います。
>>そもそも誰かの「意見」に対し、「自分としてはこういう反論があるけどどうなの?」と問いかけることが「一方的に自分の意見を話しているだけ」というなら、どういうのが「議論」なんですか?
>だから、何度書き込みしても同じようなことしか言わない人たちのコメントが死ぬほどある中で議論なんて出来ないでしょう、とさっきから言ってるんですが。
何度書き込みしても無視したり論点がずれてるから「同じ事」しか言えないような気がするのですが。
孫「おばあちゃん、メガネ忘れてる」
祖母「何か言ったかのー?」
孫「おばあちゃん、メガネ忘れてるってば」
祖母「はて、メガネ・・・?」
孫「おばあちゃん、メガネ忘れてるよー」
と同レベルなわけで。「同じ事を言わざるを得ない」状態になってる人のことも考えてあげてください。(苦笑)
で、ここまで来て言うのも何ですが、
「同じようなことしか言わない人」って、誰なんでしょうね。それも明示願います。
Rédigé par : 朱 苗牟 | vendredi 12 août 2005 à 23:15
>トニオ氏
>と、おっしゃられたはずですが?僕は実存主義の定義を厳密化すると何も意味しないような語になると示したはずですがね。
いいえ、示せていません。まず
>はて?一般人がハイデガーの思想を理解してるんでしょうか?皆『存在と時間』ぐらい読んだんですかね?アレだけじゃ駄目らしいですが。
>>しかし、諸説あるということで貴方自身で「語の公共性」なるものに限界があることを告白しておいでですね。
>一応、「実存主義者」だと書いておけるのが公共性だといったはずですが。
これだけでもおかしいですね。一般人はハイデガーの思想を理解しているか疑わしい、しかし「実存主義者」だとかいておけることには公共性がある?そんな程度を公共性だと言ったわけですか?だとすればその公共性では個別の議論には不十分であり、ゆえに適宜細かい定義の絞込みが必要になるはずです。私の主張は貴方のいう公共性とはかすりもしませんので、否定してもいません。
さらに
>>専門家の間では、より厳密に、より詳細に語を定義する事になりましょう。
>でなければ「哲学辞典」などというものは不要でしょう。
>ある学者が用語にどんなに詳しい定義づけをしても、哲学ではその学者の一説にすぎないのですがね。
私の言葉の反駁にもなっていません。一般の辞書では定義が不十分だから哲学辞典が用意されるのですから、それでも不十分なら個別の哲学者が各々の論の中での解説を加えるのは当然のことでしょう。そしてそれらは互いに「一学説」にすぎなくなるわけです。私はこれをもって、公共性など無いと言ったのです。個別の議論ごとに定義は異なるという意味で。ですので貴方の言う公共性とは語義が違っていたということになります。これだけでも語義を詰めてゆく必要があったことが確かめられそうですね。
では、JSF氏の件に移りましょう。
>集団の特性であって、それは定義の厳密化うんぬんと関係ない話ですが。
集団にすらなっていないと申し上げたことについては省略するとして、つまり北田氏の言う「ネット右翼」とはある集まりの呼称というより、ネットにおいて「炎上」「フレーミング」と呼ばれる現象のうち、その時各々の理由で参加した人の総称でしかなく、ゆえに個別の人物を指す言葉としては不十分です。
なにより、
>厭味だって言ったはずなんだがなぁ。plummetさん式の議論の仕方はやめてくれとも。
さて、ここで改めて北田氏の説明とやらを。
>中高年層に代表される守旧的な保守主義とは違うものであり
「無謬の正義の立場」に立っているかのような語り口を拒絶する、そのように見えるだけで×という意味での形式主義的・否定神学的な、「反サヨク」「反シミン」的感性と
「あえて」サヨク・シミン的なものを否定し続けることで(積極的に右翼思想にコミットするというよりは、「『右』の敵(=「左」)」の敵を演じることで)共同性を得られたかるのように思えてしまうようなロマン主義的シニシズム
どこをどう読めば厭味に使える語なのでしょう。単に現象を説明しているという以上の、肯定、あるいは否定的な人物評価を意味する語にはなっていません。
自身が語の定義として引用した文と、自身の語の運用の仕方が違うというのはほとんど致命的です。こうなりますと、サスケット氏の言うリテラシーが必要かもしれません。
Rédigé par : Мышкин | vendredi 12 août 2005 à 19:17
>私はある語も、その語を用いる議論も無意味などと言っていません
>仮に定義の厳密化で何も意味しないような語であると結論されたとするなら、
>それはその語の運用の仕方に問題があるだけであり、
>単に「その語が運用された文が、何の意味も無い」と結論されただけ
と、おっしゃられたはずですが?僕は実存主義の定義を厳密化すると何も意味しないような語になると示したはずですがね。
>このような言葉を無意味にしてゆくことが成り立つ条件が
>「そもそもその言葉た用いられた文が無意味であった場合」
>ということになるのではないか?と申し上げているしだいです。
>もっというなら、以前に、貴方の言葉を定義していって、
>何も意味しない言葉にされてしまったとしたら、
>それは結局貴方が何も言えていなかったのではないか?
>という意味で申し上げているわけです。
僕は実存主義の例で示しましたが、そもそも、それは根拠のない話ですよね。
>腹が立ったからこうやって必死になって返事を書いているのでしょう?と返せます。
必死に見えますか?
>仮に「腹は立たないが云々」としても、今度は、今までネット右翼と呼ばれた人たちも同じだったのでは?と返せてしまいます。
アレで怒ってなかったんですか?
返せてしまう、って思考停止して故意に誤認するんじゃあ話にならないでしょう。
>一般人が一般的に運用する場合においては、ハイデガーを実存主義者に含めてもさして問題ないでしょう。
はて?一般人がハイデガーの思想を理解してるんでしょうか?皆『存在と時間』ぐらい読んだんですかね?アレだけじゃ駄目らしいですが。
>しかし、諸説あるということで貴方自身で「語の公共性」なるものに限界があることを告白しておいでですね。
一応、「実存主義者」だと書いておけるのが公共性だといったはずですが。
>専門家の間では、より厳密に、より詳細に語を定義する事になりましょう。
>でなければ「哲学辞典」などというものは不要でしょう。
ある学者が用語にどんなに詳しい定義づけをしても、哲学ではその学者の一説にすぎないのですがね。
>一般に定義された語では定義域が広すぎて曖昧
ある程度曖昧になりすぎると今度は定義が狭すぎて分からなくなると思うんですが。
>「守旧的な保守主義とは何であるのか」
>「「反サヨク」「反シミン」とは何であるのか、そもそも「サヨク」「シミン」とは何であるのか」
>「仮にサヨクが必ずしも一定の集団で無いとして、それを闇雲否定したところで、否定した物同士、敵の敵は見方的な共同性が得られたように思えてしまうのか。その証明は可能か」
ある辞書の記述の分からない言葉をどんどん調べていくと結局もとの言葉にたどり着く、っていうのが辞書のパロディーなんですがね。
というか、プロ市民とか貴方も使ってますよね?意味分かってなかったんですか?
http://muichkine.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%83v%83%8D%8Es%96%AF&blog_id=90872
>なぜなら北田氏自身が~
集団の特性であって、それは定義の厳密化うんぬんと関係ない話ですが。
>「JSF氏をネット右翼だと呼んだのは何の根拠もありません。ただネット右翼と呼ぶことは悪口になると思ったし、悪口が言いたくてそう呼びました」
厭味だって言ったはずなんだがなぁ。plummetさん式の議論の仕方はやめてくれとも。
>サスケットさん
>トニオ君はありがちな言葉遊びをしているのだと思っていました。
しゃれが通じないんじゃまず議論の成立からは遠ざかるだけだと思いますがね。
>そうだね、トニオ君、言葉遊びばかりしているね。
なに、お付き合いしてるだけですが。
>その後ようやく提出した際にめんどくさいのでと言っている当たりがその証左となるね。理解させようと言う意思の欠如か。議論ではないね。
分かってるのにすっとぼけて、何言っても否認しようとしてる人相手に解釈を話すだけ無駄でしょう。
>真面目に話す気の無い、石を取り上げてもしょうがないわけで、そこはヘンテコなものをスルーすると言うリテラシー能力の有無にかかってくるのではないかと。
フン、そういうリテラシーなんて都合のいいリテラシーじゃないんですかね?
>いわゆる「あいつらなんかと一緒にするな」と い う の と は 違 う 意 味 で、「若隠居氏のブログが閉鎖」だの「ネット右翼」がどうだの、という問題と一緒くたにされても困るわけで。
というか、そういうエントリなんだから一緒にされてもしょうがないし、さっきも言いましたが「私とだけお話しましょう」というわけにはいかないでしょう。
>そもそも誰かの「意見」に対し、「自分としてはこういう反論があるけどどうなの?」と問いかけることが「一方的に自分の意見を話しているだけ」というなら、どういうのが「議論」なんですか?
だから、何度書き込みしても同じようなことしか言わない人たちのコメントが死ぬほどある中で議論なんて出来ないでしょう、とさっきから言ってるんですが。
Rédigé par : トニオ | vendredi 12 août 2005 à 12:57
連続書き込み失礼します、と。
そもそも誰かの「意見」に対し、「自分としてはこういう反論があるけどどうなの?」と問いかけることが「一方的に自分の意見を話しているだけ」というなら、どういうのが「議論」なんですか?
例示しろとは言いませんが、具体的にお答えいただければ幸いです。
それから、最初にblogで「一方的に意見を述べた」側に対して、そういった「反論」の記事を書いたわけですが、その「反論」の側だけを「一方的に意見を述べた」と言われる、その判断基準の差はどこにあるのでしょうか?
Rédigé par : 朱 苗牟 | vendredi 12 août 2005 à 02:46
えーと?
> 今までの経過を素っ飛ばしてそういう
> モノ言いは無しでしょう。経過が分
> からないっての無しっすよ。
「今までの」とはどこからの事でしょうかねぇ。
うちが小倉氏にTBしたのは前述の「民事と刑事」の一件が最初ですし、それ以前のことは関係ないと思うのですが。
いわゆる「あいつらなんかと一緒にするな」と い う の と は 違 う 意 味 で、「若隠居氏のブログが閉鎖」だの「ネット右翼」がどうだの、という問題と一緒くたにされても困るわけで。
あ、それとも、1つのblogトピックでは1つの話題しか話せない方なのでしょうか?
Rédigé par : 朱 苗牟 | vendredi 12 août 2005 à 02:38
ハイオッケー。
>はー、これ議論だったんだ。ありがちな言葉遊びじゃなくて。
トニオ君はありがちな言葉遊びをしているのだと思っていました。
予測した3例のうちの「あるいは議論の放棄」に該当したわけですな。
そうだね、トニオ君、言葉遊びばかりしているね。
コンセンサスをとるために自己の「ネット右翼の解釈」を話そうともしないのに
>受け取り側が人の言うことなんて聞こうとしないだけ
と言う解釈を示している矛盾。
その後ようやく提出した際にめんどくさいのでと言っている当たりがその証左となるね。理解させようと言う意思の欠如か。議論ではないね。
そこには小倉氏の言う「意見を一本化しなければならない」という動機が存在しない。だからこそ相手に理解させようと言う意思が必要とされない面倒な行為にしかならない。わかりやすく言うと一本化――まとめられないのではなく、まとめる気が無い、と言う状況なわけですな。
とまあ、このようなわかりやすい例と同様に松沢知事のブログの例も『そもそも議論を行っていない』『まとめようとしていない』状況なわけで、それをもってきてネットの議論は匿名で使えねーとするのは早計ではないかと思うわけですよ。
真面目に話す気の無い、石を取り上げてもしょうがないわけで、そこはヘンテコなものをスルーすると言うリテラシー能力の有無にかかってくるのではないかと。
Rédigé par : サスケット | vendredi 12 août 2005 à 02:24
おっと。
「そもそもその言葉た→そもそもその言葉が
ですね。
さて。北田氏の説明そのままの意味で用いたとしまして、ではJSF氏はそれに該当するのでしょうか?その例示や証明になしにネット右翼だと言ったのなら、それを取り下げるべきでしょう。
ついでに、私としてはその北田氏の説明だけでは不足している点が多々あるように思われますので、貴方が北田氏の意図を正しく理解しているというのでしたら、以下の点も説明できますでしょうか?
「守旧的な保守主義とは何であるのか」
「「反サヨク」「反シミン」とは何であるのか、そもそも「サヨク」「シミン」とは何であるのか」
「仮にサヨクが必ずしも一定の集団で無いとして、それを闇雲否定したところで、否定した物同士、敵の敵は見方的な共同性が得られたように思えてしまうのか。その証明は可能か」
などです。
私は、これに「明確には回答できない」と思えてなりません。なぜなら北田氏自身が、ネット右翼なるものを一定の集団だとも共同体だとも、まして組織だなどと思っておらず、単になにがしかの基準でサヨク風と感じられたもの(その定義は曖昧で、最初は個々人が独断で判定する)に、なんとなく異を唱えてみた人、それが(ことによっては偶然の一致により)多くの人が同じ対象をサヨクと判定し、同じ対象に異を唱える状況になって初めて(結果論として)その異を唱えた人たち(それは組織でもなく、異を唱える単一の思想を持っているわけでもない)を、総じて「ネット右翼」と呼んでいる、という程度のものではないかと思われるからです。
このような定義では酷く曖昧で、ネット上で議論する人なら偶然にもネット右翼に数えられてしまう可能性も十分あるのですが、それでも今回JSF氏を名指しするのなら検証は可能でしょう。
先の「JSF氏がネット右翼であることの証明」の手助けをしておきますと
「JSF氏が否定した対象(例えば若隠居氏?攻撃されたというのなら)が「サヨク」「シミン」的であることをどうにかして示す」
「然る後、JSF氏が確かに否定したのだと示す」
こういった手続きが必要でしょうね。
もちろん「JSF氏をネット右翼だと呼んだのは何の根拠もありません。ただネット右翼と呼ぶことは悪口になると思ったし、悪口が言いたくてそう呼びました」という言明をなさってもかまいませんが。
Rédigé par : Мышкин | vendredi 12 août 2005 à 02:09
>トニオ氏
まず
>なるほど、実存主義って何の意味の無いのかぁ、勉強になる。で、どういう学説か聞かせてもらえますか?
これが誤読です。私はある語も、その語を用いる議論も無意味などと言っていません。私は必要に応じて語をより厳密に定義してゆくべきだと考えておりますので、問題は、もう一度指摘しますと
>それに、定義を厳密化していって結局何も意味しない言葉にするっていう「ためにする議論」はものすごく不毛なのですが。
これです。さて、しっかり記述して、しっかり語を定義していったとして、その語が何も意味しない言葉にすることは可能なのでしょうか。しかもそれを防げない?
このような言葉を無意味にしてゆくことが成り立つ条件が「そもそもその言葉た用いられた文が無意味であった場合」ということになるのではないか?と申し上げているしだいです。
もっというなら、以前に、貴方の言葉を定義していって、何も意味しない言葉にされてしまったとしたら、それは結局貴方が何も言えていなかったのではないか?という意味で申し上げているわけです。
>Cthulhuじゃちっとも腹は立たないんですけども。
腹が立ったからこうやって必死になって返事を書いているのでしょう?と返せます。仮に「腹は立たないが云々」としても、今度は、今までネット右翼と呼ばれた人たちも同じだったのでは?と返せてしまいます。
>普通、実存主義にハイデガーを入れるか否かは議論があるんですよ~
私はこう申し上げたはずです。「辞書は定義をそれなり以上に厳密化しますが」と。一般人が一般的に運用する場合においては、ハイデガーを実存主義者に含めてもさして問題ないでしょう。しかし、諸説あるということで貴方自身で「語の公共性」なるものに限界があることを告白しておいでですね。一般レベルでは「ハイデガーは実存主義者」と決め付けてよくても、専門的にはそうとは言い切れなくなるわけですね?では、例えば専門家が専門的な話をする時に「ハイデガーは実存主義者」と決め付けて話をすすめて、それで看過されるというのでしょうか?違いますね。専門家の間では、より厳密に、より詳細に語を定義する事になりましょう。でなければ「哲学辞典」などというものは不要でしょう。
その都度定義しなおす、という言葉の意味を貴方にはうまく「定義できていない」ようなので補足説明しておきますと、これはある時に語を定義したとして、次の時には別の定義をするというような意味ではありません。一般に定義された語では定義域が広すぎて曖昧なので、その範囲の、今回はどのあたりを指しているのかをある程度絞り込んでゆかないと、曖昧な範囲のどのあたりにでも焦点を当てることができてしまい、結果として相手に伝わらないということになってしまうので、それを防ぐべく語を定義してゆく(定義を絞り込んでゆく)のです。(稀に一般の語義とは異なる語義を与える場合もあるので、一概に絞り込むだけとも限りませんが)
Rédigé par : Мышкин | vendredi 12 août 2005 à 01:47
>朱 苗牟さん
>で、そう文句をつけるなら、もっと身近に「自分の見解だけを延々と垂れ流してる人」が居ません?
>しかも垂れ流しなのに「議論」についてのルールなんか語っちゃってる。
今までの経過を素っ飛ばしてそういうモノ言いは無しでしょう。経過が分からないっての無しっすよ。
>Мышкинさん
>ネット右翼の意味なぞ判らなくても厭味やら罵詈雑言やらであるということだけ理解できれば相手が怒るに十分です。
Cthulhuじゃちっとも腹は立たないんですけども。厭味だって分かるためには単語の意味が分かんなきゃ駄目でしょう。
>辞書は定義をそれなり以上に厳密化しますが、
じつぞん-しゅぎ 5 【実存主義】
〔哲〕〔(フランス) existentialisme〕人間の実存を中心的関心とする思想。一九世紀中葉から後半にかけてのキルケゴール・ニーチェらをはじめ、ドイツのハイデッガー・ヤスパース、フランスのサルトル・マルセルらに代表される。合理主義・実証主義による客観的ないし観念的人間把握、近代の科学技術による人間の自己喪失などを批判し、今世紀、特に第二次大戦後、文学・芸術を含む思想運動として盛り上がった。実存哲学。
普通、実存主義にハイデガーを入れるか否かは議論があるんですよ。『存在と時間』って未完だし。それでもこの辞書(大辞林第二版)の定義に入れちゃってるんですよね、アバウトに。これ厳密なんですかね?だいたい、現象学も混じってるような気もするし。学者によってはまったく違った定義の人もいるでしょうね。でも、みんなとりあえず文句は言わないのはこれが一応アバウトな公共的見解ってヤツだからなんですがね。
>単に「その語が運用された文が、何の意味も無い」と結論
なるほど、実存主義って何の意味の無いのかぁ、勉強になる。で、どういう学説か聞かせてもらえますか?
>もう一度お聞きします。「ネット右翼」とはどういう意味でしょうか
めんどくさいので、北田暁大先生曰く、
中高年層に代表される守旧的な保守主義とは違うものであり
「無謬の正義の立場」に立っているかのような語り口を拒絶する、そのように見えるだけで×という意味での形式主義的・否定神学的な、「反サヨク」「反シミン」的感性と
「あえて」サヨク・シミン的なものを否定し続けることで(積極的に右翼思想にコミットするというよりは、「『右』の敵(=「左」)」の敵を演じることで)共同性を得られたかるのように思えてしまうようなロマン主義的シニシズム
らしいっすよ。
>サスケットさん
>少なくとも議論参加者の
はー、これ議論だったんだ。ありがちな言葉遊びじゃなくて。
>「自分の周りだけ大丈夫」とМышкин氏とのコンセンサスをとらない
そもそも、言葉の公共性を否定する人とコンセンサスをとろうとするのが不毛だなぁ。というか、なんとなく僕らの文脈でこう使ってるんだけど、っていうのを一切解そうとしないのがまともな議論なのかなぁ。
>単に意見を相手に認識させる技術の不足
受け取り側が人の言うことなんて聞こうとしないだけだって解釈の仕方もありますけど。
Rédigé par : トニオ | vendredi 12 août 2005 à 01:14
>いや、少なくとも僕の周り程度ではコンセンサスは得られています
ははは、少なくとも議論参加者のМышкин×トニオ間でコンセンサス取れていないことは容易に判断できるわけで、それを無視して「自分の周りだけ大丈夫」とМышкин氏とのコンセンサスをとらないのは、単なる想像力の欠如か、あるいは議論の放棄にしかなりえない。
あるいはそのどちらでもない。議論は続けるし、きちんと考えているトニオ君は両者のコンセンサスをとらないままに進める気なのかもしれない。しかしそうなるとМышкин氏側がコンセンサスは必要といっているため、今度は不要か必要かという争点が発生するため、このパターンであった場合もやはり「自分の周りだけ大丈夫」という解答では意味をなさない。
このような―今回のような場合議論が踊り役に立たないのは、単に意見を相手に認識させる技術の不足が原因であると考えられる。
もちろんそれを総じて小倉氏の言う「匿名だから、意見のまともなやりとりができないのに恥ずかしげもなくしゃべってます」と考えることも確かに可能。
可能ではあるんですけれど、「ネット上」のという条件だけで話すには、「今回のような例」一つ取り上げえ終わるのはチト不足しているかと。
もうすこし前提条件を狭めないと当てはまらない率が広すぎるのではないかとTBしてみるテス、ト~。
Rédigé par : サスケット | jeudi 11 août 2005 à 23:55
>トニオ氏
自爆しています。
>>あなたの言う「ネット右翼」の定義、並びにJSF氏がそれに該当することの明示を行う必要があります。
>厭味だって言いませんでしたっけ?
>そもそも、実存主義だって使う人によって意味は違いますが、僕がその言葉を使うとき相手がそれを理解してくれるのは、僕の文脈で使った場合の意味を相手が理解してくれるからです。Cthulhuなんて意味の無い言葉ならともかく、ネット右翼と言われた人達が怒るのは相手の文脈で言われたネット右翼の意味を理解しているからでしょう。
ネット右翼の意味なぞ判らなくても厭味やら罵詈雑言やらであるということだけ理解できれば相手が怒るに十分です。そのようなことも判らないから貴方はCthulhuなんです。どこからここへ迷い込んだのでしょうか。
もう一度お聞きします。「ネット右翼」とはどういう意味でしょうか。例えば貴方が辞書に「ネット右翼」という項目を載せるとしたら、どういう説明をしますか?それをお答え頂かないと私は貴方の文意を測りかねます。貴方は自分の文全体を見れば判ると仰るかもしれませんが、その一言の定義如何によって、貴方の文全体の意義そのものが大きく左右されます。
>それに、定義を厳密化していって結局何も意味しない言葉にするっていう「ためにする議論」はものすごく不毛なのですが。
辞書は定義をそれなり以上に厳密化しますが、かといって結局何も意味しない言葉にしていましょうか?仮に定義の厳密化で何も意味しないような語であると結論されたとするなら、それはその語の運用の仕方に問題があるだけであり、単に「その語が運用された文が、何の意味も無い」と結論されただけだではないでしょうか。
Rédigé par : Мышкин | jeudi 11 août 2005 à 23:52
> それってこの場合妥当なんですか?
> 僕はこのエントリでのコメントは貴方
> の見解を披露しただけだと思ったんです
> がね。人の話聞かないで延々と演説して
> いるヤツやら罵倒してるだけのヤツ
> がわんさかいるなかで、「私とだけ
> お話しましょう」ってそんなわけに
> はいかないでしょう。
うん、そうかもしれませんね。
で、そう文句をつけるなら、もっと身近に「自分の見解だけを延々と垂れ流してる人」が居ません?
しかも垂れ流しなのに「議論」についてのルールなんか語っちゃってる。
そういう行為が「おかしいんじゃないの?」という意味であえて過去のトラックバックを持ちだしたわけですが。
Rédigé par : 朱 苗牟 | jeudi 11 août 2005 à 23:49
くだらねぇ。
>りんごさん
あのブログの話してんですから、アレしかないでしょう。柱がピンクうんぬんのことしか。不法滞在者通報ページとか、女性専用車両とか何の関係があるんですか。あの人のページで齟齬?馬鹿な人達が人の話を聞かないで延々と演説してただけでしょう。齟齬なんて起きる余地は無かったっすよ。
>Мышкинさん
>必要に応じてその都度「この場合の**はXXXという意味である」と定義しなおす
公共性なく勝手にそんなことをやられてはその言葉は定義する人の分だけ意味が存在してしまい、結局何も意味しなくなっちゃうんですが。
>とりわけ新しい語である「ネット右翼」という語はまだその語義に十分なコンセンサスが得られていないでしょうから
いや、少なくとも僕の周り程度ではコンセンサスは得られています。
>あなたの言う「ネット右翼」の定義、並びにJSF氏がそれに該当することの明示を行う必要があります。
厭味だって言いませんでしたっけ?
>Cthulhuを定義することも、Cthulhuに該当するという証明も、せずに勝手に行うことが出来てしまう
そもそも、実存主義だって使う人によって意味は違いますが、僕がその言葉を使うとき相手がそれを理解してくれるのは、僕の文脈で使った場合の意味を相手が理解してくれるからです。Cthulhuなんて意味の無い言葉ならともかく、ネット右翼と言われた人達が怒るのは相手の文脈で言われたネット右翼の意味を理解しているからでしょう。
それに、定義を厳密化していって結局何も意味しない言葉にするっていう「ためにする議論」はものすごく不毛なのですが。
この手の言葉遊びがまともな議論だとは思えないのですがね。
>………まあここまであっさりぶっちゃけてくださったことは多分肯定的にとった方がいいんでしょうね。
厭味言われてるだけでしょう。
>朱 苗牟さん
>うちが「回答して」と言うてるのは、何回か前の「民事と刑事」というエントリーで、何カ所か不可解な点があったからトラックバックという形で質問させていただいたわけですが。
このエントリと関係ないんですか?
>「コメントスクラム」とやらの被害にあってるblogがあったとして、そこの矛盾点を普通に質問するのは「いけないこと」なのですか?
それってこの場合妥当なんですか?僕はこのエントリでのコメントは貴方の見解を披露しただけだと思ったんですがね。人の話聞かないで延々と演説しているヤツやら罵倒してるだけのヤツがわんさかいるなかで、「私とだけお話しましょう」ってそんなわけにはいかないでしょう。
>「誠意に満ちていない」
誠意の基準が分からない限り、『「誠実に回答」したところでコメンテータの方々が納得することはない』っていうのは妥当だと思いますが。果て無き『誠意』を求められても示しようが無いですからね。
>示談するなりやめるなりすることありますよね。
ネット上の議論でそれをやることの利点が分かりませんがね。
>「相手にリソース消費を迫る手法」をするのは「ネット右翼」と読み取れましたが
>ポケモン同人誌を訴えた任天堂、上で例を出したSonyもネット右翼なのですか?
必要条件と十分条件を取り違えますか。ほほぉ。
Rédigé par : トニオ | jeudi 11 août 2005 à 23:11
もう一点、ネット上の「論破」は、実社会と違うとのことですが、
これは実社会の裁判特に民事裁判に似ているとは、思わなかったのですか?
裁判は時間手間(リソース)が大幅にかかり利益で見れば白黒付くまでやるより、
示談するなりやめるなりすることありますよね。
もっと言えば「裁判沙汰にする」とか「請求額を引き上げる」ということで
相手から譲歩を引き出すことすらできます。
後者はWalkmanの名称を使った靴屋(現在はWalkrunner)に対して裁判を起こした
Sonyが使ったのを覚えています。
弁護士なのに、こういう視点が欠けているのは非常に残念です。
ところで、『小倉先生のいうネット上の「論破」』すなわち
「相手にリソース消費を迫る手法」をするのは「ネット右翼」と読み取れましたが
ポケモン同人誌を訴えた任天堂、上で例を出したSonyもネット右翼なのですか?
Rédigé par : nullpo | jeudi 11 août 2005 à 22:06
小倉先生、松沢知事のブログに関して仮定に基づき己に都合の良い結論を導くのは
望ましくないと思います。
松沢知事(と神奈川県)は学会で認められた学説を元に誠実に対応したのでしょうか
?
松沢知事(と神奈川県)の対応が「誠意に満ちていない」からブログへコメントが
集中しただけだと思いますがね。
参考:impressのInternet watch(2005/07/25の記事)
http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/2005/07/index.htm
Rédigé par : nullpo | jeudi 11 août 2005 à 22:04
>トニオさん
おっしゃる意味がいまいち理解しかねるのですが。
うちが「回答して」と言うてるのは、何回か前の「民事と刑事」というエントリーで、何カ所か不可解な点があったからトラックバックという形で質問させていただいたわけですが。(その時にコメントで「質問です」という旨もきちんと書きましたし)
で、私は別に、何か団体の意思で動いてるわけでも何でもないわけですが、たとえコメントスクラムとやらをしてる人が居ようが居まいが、そもそも「小倉先生の」書かれたblogの内容に疑問があったわけですから、質問をしたであろう事にかわりはありませんし。
それとも、何でしょう。
「コメントスクラム」とやらの被害にあってるblogがあったとして、そこの矛盾点を普通に質問するのは「いけないこと」なのですか?
Rédigé par : 朱 苗牟 | jeudi 11 août 2005 à 21:10
>小倉さん
>確かに証明できないです。
………まあここまであっさりぶっちゃけてくださったことは多分肯定的にとった方がいいんでしょうね。
では「証明」できなくて結構ですので、ご自分の説の根拠になったことを示してください。
もちろん何をもってネット右翼と見なしたのか、ネット右翼をどういう層と見なしているのか、という話を含めてです。
整理しますよ。
・若隠居氏のブログの閉鎖の原因がコメンツスクラーム!である根拠
・そのコメンツスクラームがネット右翼によるものである、と思った根拠
・ネット右翼とはどのようなものであるととらえているか、という小倉さんの説明
こういう議論のための最低限の交通整理すらスルーするのはレベルの低い印象操作と思われても仕方がないですよ。
Rédigé par : U-me | jeudi 11 août 2005 à 20:49