中井さん、Schwaetzerさんの話に続けて論ずるとするならば、「ささやかなことであってもいいから、自分自身が行ってきたことの中に「誇り」を見いだせばいいではないか」ということになります。これに対し、ある集団の中に一旦自分を埋没させ、その集団についての評価を自分の中で上昇させ、その集団についてのポジティブな評価を自分自身に対するポジティブな評価に組み替えてしまうことで、「そのような集団の一員である自分」に対する「誇り」を見いだすというのは、不健全だということがいえます(ある集団の一員であることにより自己に対する社会的な評価を(しばしば不当に)低下させられる傾向が事実としてある場合に、そのような社会的な「偏見」に対抗する目的で政治的に「○○であることを誇りに思う」という場合とは、思考のプロセスが異なります。)。何たって、個人としては受けられないはずのポジティブな評価を、ある集団の一員だということで、自分自身に対する評価として認識ないし錯覚してしまうのですから。
個々人に分解された「誇り」というのはたいていの場合ささやかなものではあるのですが、たいていの場合それは具体的であり、個人の才覚や努力により絶対的な意味においてさらに高めまたは維持することができるものです。これに対し、「○○人であること」の誇りというのは、「○○人」という集団についての評価を自分自身の中で上昇させることによってしか高めることができないわけですが、たいていの場合自分自身の才覚や努力によっては「○○人」という集団についての客観的な評価を高めまたは維持することはなかなかできないわけですから(正確に言えば、集団についての客観的な評価は個々の構成員がその才覚と努力により客観的な評価を高めるような行為を行うことの集積により高まるわけですが、自らがその才覚と努力により客観的な評価を高めるような行為を行っていこうという精神を強く持っている人は、集団の中に一旦自分を埋没させなくとも自尊心を維持できるわけで、勢い、「○○人であること」を誇りに思う人々においては、自らがその才覚と努力により客観的な評価を高めるような行為を行っていこうという精神を強く持たない人の割合が高くなるように思います。)、「誇り」を高めるためには、「○○人」についてのネガティブな点を主観的に受け入れないようにするとか、「××人」を貶めることによって「○○人」の主観的な価値を相対的に高めまたは維持しようとする等のことが行われがちです。そして、そのような後ろ向きな思想傾向は、個々の構成員の才覚と努力の集積により豊で暮らしやすい「いいくに」をつくる上で有害無益でしかありません。
中井です。
①かつて母国の経済状態が困難な状況であった
②その状態を少しでも改善するために移民送り出しが盛んに行なわれた。
③その後、母国が何らかの理由により経済状態が改善し、むしろ移民先の経済状態を凌駕してしまった。
そう奇跡的といっては言葉が強すぎたかもしれませんが、遅れて近代化をはじめて挽回できた国は、すばらしい国だと思いますよ。日本、韓国、最近の中国、ドイツ?・・・あとどこがあるでしょう?
Rédigé par : bold | mardi 08 novembre 2005 à 18:04
平田さんの愛の話だと、もしかしてA子さんは、ダメなところも含めてB男さんを愛してしまった可能性もありますね。
真相は誰にもわからないのが、恋愛の美しく切ないところ。
Rédigé par : 森 | lundi 31 octobre 2005 à 18:44
もう1つ、
>移民が母国に帰ってくる国って世界の中でほとんど日本ぐらいだと思います
に関して、日本に帰国してきた移民って南米移民に限定されていて、ハワイを含む北米移民は帰国せず、現地に根を下してしまっていることは興味深いですね。
結局は現在の経済状態に依存するのでしょう。
Rédigé par : ueda | dimanche 30 octobre 2005 à 22:53
>「海外で暮らせない人は、極端な日本好きか、極端な日本嫌いに分かれる」傾向があるそうです。
私が北米で数年暮らした感想では海外で暮らしている方によりその傾向が顕著のような感じがします。
「極端な日本好き」というよりも日本以外では生きていくことのできない方が一方ではいて(本当にノイローゼとかになってしまう)反面「極端な日本嫌い」というか日本の存在をもはや認めないというすごい方までいますね。
まあ私が居住していたのはネットがここまで普及する以前の90年代中期であったので海外にいても日本の情報を瞬時に入手できる現在とは状況が異なるとは思いますが。
Rédigé par : 上田 | dimanche 30 octobre 2005 à 22:45
>移民が母国に帰ってくる国って世界の中でほとんど日本ぐらいだと思います
きっと移民が母国に帰るには①かつて母国の経済状態が困難な状況であった②その状態を少しでも改善するために移民送り出しが盛んに行なわれた。③その後、母国が何らかの理由により経済状態が改善し、むしろ移民先の経済状態を凌駕してしまった。という条件が必要なのでしょうね。
そのように考えると、アルゼンチンに多く移民したドイツ人(そのためナチ残党の多くが戦後アルゼンチンに逃げましたね。)
なんかもきっとそうなんじゃないかな。
あと最近で言えば、お隣韓国においても移民の帰国が多いみたいですね。但し、完全に日本に根を下してしまった在日の方ではないみたいですが。
また、ボートピープルとして有名なベトナム人も結構ベトナムに帰っているみたいですね。
これからアジアからの移民は母国の経済発展に伴い帰国者も増えるのではないでしょうか。
Rédigé par : 上田 | dimanche 30 octobre 2005 à 22:27
一部の頭の悪い人が未だに分かってないようだから教えてあげますよ。
まあ、それなりのA子さんがいたとしましょう。そこに、すんごい大金持ちだけどすんごい頭の悪いB男君と、すんごい貧乏なC男君が現れてA子さんを好きになったとしましょう。B男君はA子さんに1000万円の指輪をプレゼントしてC男君はお金以外のもので気を引こうとしたわけですが、A子さんはB男君を好きになってしまうわけです。B男君はいい気になって、「ほら見ろ、愛なんて所詮こんなものだよ、金で買えるじゃねーか、ばーか」と某ブログで事の顛末を公表したわけです。馬鹿ですね。案の定、そのブログにはいろいろな意見が書かれたわけですが要約するとこんな感じです。
「そりゃ、あんた。A子さんを買っただけでしょ。愛が買えたわけじゃねーよ」
要するに愛について軽薄すぎたわけですね。自分の経験したことが世界の全てであって「言葉」という意思の疎通をはかるもの、もしくは文化を伝えるためのものを自分の世界でのみ完結させてしまうことの愚かしさを見たような気がします。B男君にとって「言葉」と言うのは自分の世界の矮小さを人に知らしめるための道具でしかないのでしょうか。挙句の果てに「結局のところ、ささやかであっても二人が幸せなら良いではないか程度の愛しか認めることができないなら金で買ったほうが健全であると言うことができます。貧乏人同士が愛し合って幸せである例を私の周りでは見たことがありません」と言いやがりました。これにはC男君以外の人からも批判が寄せられそのほとんどが正論であったために何も反論できずに黙りこくってしまいました。
困り果てたB男君は友達に頼んで、「あれは、愛も行き過ぎるとストーカーとか殺人になってしまうので気をつけようね、学校で人を憎んではいけませんとか言い過ぎるからそんなことになるんですよ」という警告の意味で書いたネタですよと言ってもらおうとしたんですが、その友達が何を勘違いしたのか「愛なんて所詮、射精。セックスなんてフィクション」とか言い出したので、
お池にはまって、さー大変。一応ドジョウは出てきて「こんにちは」とは言ったんですが時既に遅し、ドングリは溺れてしまいました。泳げないなら、はまるなよとか言いながらドジョウはあっという間に逃げていきました。自分を愛するあまり人の愛まで自分と同じ軽薄さでなければ許せない人というのもいるのだなあ、とか思いながらドジョウはどこに逃げたのか探してみると、隣の池で溺れてました(笑)。ドングリが溺れるのは仕方ないけど、泳ぎ専門のドジョウが池で溺れているのには驚きました。大丈夫なんでしょうか?しかも他人の池で(笑)。しかもちょっと足を滑らせた蛙の足を引っ張って道連れにしようとする浅はかさまで垣間見せる始末。
とはいえ、やはり溺れたことがかなり恥かしかったのか溺れた言い訳を必死になってしてみたり、引っ張り損なった蛙の罠を再び仕掛けてみたりしているみたいなのですが、どうしたものでしょうね。こっちが訊きたいよ、と言われるかもしれませんが敢て重ねて言いますが、どうしたものでしょうね。
Rédigé par : 平田 | dimanche 30 octobre 2005 à 22:04
>>中井さん
世界の中、アジアの中で、日本はすばらしい国”の一つ”だと思いますが、「奇跡的に」のあたりの意味がよくわからなかっただけです。個人的には日本が奇跡的にすばらしいとまでは思っていませんし、なんか「日本は特別なんだ」という傲慢さに聞こえるので、あんまり好きではないです。
「日本がすばらしい≠あなたがすばらしい」とは別の話題になっちゃいますけど。
Rédigé par : 森 | vendredi 28 octobre 2005 à 18:24
外国語で暮らした海外生活者の多くは、結局そういう感想を持つようになるのです。移民が母国に帰ってくる国って世界の中でほとんど日本ぐらいだと思います。(まあ心理的鎖国をしている人には、わからないことでしょうがね・・・)
ところで。
「海外で暮らせない人は、極端な日本好きか、極端な日本嫌いに分かれる」傾向があるそうです。
Rédigé par : 中井亀之助 | lundi 24 octobre 2005 à 18:22
>日本は世界の中で、アジアの中で、奇跡的にすばらしい国なのです
この辺に、限定主義者っぽい雰囲気がただよう。
Rédigé par : 森 | lundi 24 octobre 2005 à 10:26
話は差別と誇りにもどりますが。
国民が強調された前の近世は、士農工商という身分制度が社会の根本的な階層をつくっていました。しかしこの制度のもとで、国民皆兵であるとか、近代政党制度、工場労働、大企業設立など、近代国家を作るうえで必要な国民の一体感というものを作るのは難しかったのだと思います。
今私たちは国民をすでに当たり前のこととして受け入れこのエントリのような議論(あえて進歩主義的といいましょうか?)が行われているのですが・・・・
「国民」がある種の幻想であることは事実です。
しかし、国民であることに誇りや矜持を自主的に持つ気風によって、ようやく日本は諸外国と伍することができた、という歴史的事実にも留意する必要があると思います。
なんだかんだいっても日本は世界の中で、アジアの中で、奇跡的にすばらしい国なのです・・・・それらを踏まえたうえでの「国民」批判であれば、聞く価値もあろうかというものです。
Rédigé par : 中井亀之助 | dimanche 23 octobre 2005 à 12:37
>Kommentiert von: Мышкин | 23. Oktober 05 um 03:49
(返答不要)
んー、そういう風に数直線で考えるのもあるし、
・『1』を『在る』と解釈すると「反対」は『0』
・『1』を『プラス』と解釈すると「反対」は「-1」
てとこでして。さらに、『1』に『-1』を足すと『0』になったりして、マトモに悩みだすと何がなにやら(一応、説明できなくはないんですが、学部生の卒研の1節くらいにはなるんで・・)。
まあ、日常的にはそこまで考えないでもいいし、聞く方も「ああ、この人はこの状態とあの状態を"対"で考えてるのね」程度で考えればいいんですよ。
==========
でもまあ、
>「日本人であることを誇りに思う」の否定は「日本人であることを誇りには思わない」
てのは、「"未然形+ない"は"否定"」という、文法上の話にすぎず、状態(State)解析にはならないですが。
#しかも"否定"じゃなくて"打消し"だし。
Rédigé par : irose | dimanche 23 octobre 2005 à 11:28
蛇足と申しましたように・・・
その説明をするには力不足では?
「ON」[OFF」
「存在」「無」・・・ぐらいなら・・中間が存在しないのかな?程度には理解できるのですが。
Rédigé par : 信ちゃん | dimanche 23 octobre 2005 à 10:33
問題点はirose氏の言うのに近いですね。
好き(1)嫌い(-1)の間には「どちらでもない(0)」があるはずだけれど、
健康(1)不健康(≒病)(-1)の間の(0)に相当する状態がありますか?という問題で。
Rédigé par : Мышкин | dimanche 23 octobre 2005 à 03:49
>Kommentiert von: 信 | 23. Oktober 05 um 00:09
>「健康」と「不健康」は対ではなく・・
>「健康」と「病」が対でないでしょうか?
>「出る」の対が「出ない」でなく「入る」が対であるように。
ええと・・・
(同じことはSchwaetzer氏のとこ(日記)にもコメントしたんですが、いまは非公開モードになってるので・・)
「アントニム遊び」になるからあまり考えないほうがいいですよ。特に、状態要素(形容詞要素とでもいうか)の強い言葉は。
「『1』の否定は『0』か『-1』か?」
みたいなもんです。
Rédigé par : irose | dimanche 23 octobre 2005 à 00:42
蛇足ながら・・・
朝なんと無く疑問に思いましたが
「健康」と「不健康」は対ではなく・・「健康」と「病」が対でないでしょうか?
「出る」の対が「出ない」でなく「入る」が対であるように。
Rédigé par : 信 | dimanche 23 octobre 2005 à 00:09
最近コメント欄に人を誹謗中傷するものが散見されますが如何お考えでしょうか?例えば、
音羽ダッシュさんのコメント
>めんどくさい。
>あんた馬鹿だからホントにわからないようだし。
Schwaetzerさんのコメント
>iroseさんとは違ってバカを相手にまた返答を書きますが、「言い張って」たんじゃない。
もっとも町村先生のブログでは町村先生に『名誉毀損に該当するでしょうなぁ』と、(ここのブログ主自らが)指摘されるほどのコメントを執拗に書き込んでる程などで上記程度では何とも思わないのかもしれませんが。
しかし、過去には以下のようなことを仰っていたのですがお忘れでしょうか?
> ネット上での発言の場合、通常の匿名性の高い表現とは異なり、伝達される範囲が広いですし、ブログのコメントの場合、被誹謗者と関係の深い人にダイレクトに届きますから、「便所の落書き」と同視して見逃すことは妥当ではないでしょう。
>Redige par: 小倉秀夫 | juin 18, 2005 11:34 AM
自分に対する反論はたとえ誹謗や中傷が含まれていなくても見逃さず削除し、他人に対するものは見逃すというのは、「便所の落書き」を真に受けて落書きされた電話番号にイタズラ電話をする人達と同レベルの醜悪さをもっていると思われても致し方ないと思います。
いずれにしろ、コメント欄を管理する責任はブログ主にあるわけですから他人のブログに人を貶めるようなコメントを書いている暇があったら自分のブログぐらいきちんと管理してください。
Rédigé par : 平田 | samedi 22 octobre 2005 à 21:03
Mさんまだやっているの?
概念の説明に
健康・不健康 好き・嫌いが対云々で説明はないと思うよ?
単なる反対語・・・男・女で人間が説明出来ないように・・・
説明しきれないから「概念」と言う言葉があるのでは?
ご自身で
>「一般には自明の概念として捉えている」という意味で「自明」としました。
・・・貴方の概念・・・主観と言っている
>違うと言うにはリサーチが必要
・・・他人の概念、主観は相違して当たり前でリサーチ出来るものではないし、しても始まらない。
私は頭がわるいので、文章が難しすぎて皆目理解出来ませんでした。
理解出来たのは
最後の・・・・・「馬鹿呼ばわりされても気にすることはなさそうです。」
Rédigé par : 信ちゃん | samedi 22 octobre 2005 à 07:10
S>「日本」というくくりが決して自明でないこと
この世界のいかなる命題も決して自明でないこと。を承知するなら、その上でやり過ごされる以上それは、自明なのですが。
私は最初から最後まで一貫して「日本というものを一般には自明の概念として捕らえている」という意味で「自明」としました。これが違うと言うためにはリサーチが必要です。
「健康」については原則「不健康」と対になって把握されるはずです。少なくともそう捕らえることは不自然ではありません。
「好き」の反対は「嫌い」ですが間に「どちらでもない」というものがあります。一方で「健康」と「不健康」の中間には常に設置される概念があるのでしょうか?
こういう指摘を一切無視してトートロジーだ無限修正だ言われても、貴方の言う「フィクション」こそ無限修正されているし、(本来のフィクションの定義から外れている)また、当初は「フィクションか否か」という対比の仕方であったのにいつのまにか「フィクション性」というよくわからない属性の量的差異の問題に摩り替わり、尚且つその分量が多いと問題だと言い、およそフィクション性が高そうな、尚且つ日本だの国家だのより無害な例を例示したら無視し、その上でフィクション性とは何なのかの説明を全くしないのに修正し続けているなどと言っている、そんな人になら馬鹿呼ばわりされてもあまり気にする必要は無いといえそうです。
Rédigé par : Мышкин | samedi 22 octobre 2005 à 01:38
>Kommentiert von: Schwaetzer | 21. Oktober 05 um 21:59
そのWikiの「民族」というのはこれだけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F
コレ読むとさ、
>Kommentiert von: Schwaetzer | 21. Oktober 05 um 21:59
S>「国=国家」でオッケー
とするために
S> Rédigé par: Schwaetzer | le 10/10/2005 à 21:22
S> まず、「日本人として誇りを持つ」といったとき、「お国自慢」の場合を除いて「日本人」とか「日本」ってのに対して根拠はないってのはいいですか。
という「場合絞り」をするのは
Wiki>この概念がエスニックな意味を有することを否定する見解がある。
Wiki>・・・
Wiki>元々エスニックな意味を持たない概念だったと論じるのは誤りであろう。
というのに反するわけで、
S>なってしまいかねません。
何言ってんの、と。
=====
で。
S>「日本」というくくりが決して自明でないこと
っていうのは、ロジック自体は日本に限らずまあ大抵の国「○○」で成り立つわね。
でもさあ、いくらあなたが力説して私がそれを受け入れても、
Og>06. Oktober 05 um 09:07 in Current Affairs | Permalink
Og>エスニックジョークとしての「○○人」って、ステレオタイプ化した「○○人」にすぎないから、「○○人」の定義を論ずる際にこれを組み入れるのはどうかなあと思いますね。
Og>cf.
という比較例示でズバリ
Og> フランス人は
Og>・・・
Og> イギリス人は
Og>・・・
って「○○人」って表現しちゃってるんだからさ。
これ、どう考えても「国家」とか「国籍」じゃないじゃん。「『お国』柄」じゃん。
Schwaetzer氏の説だとここが説明できない。 というか逆に、「『くくりが決して自明でない』としても『エスニック』な意味が入ってるのはガチじゃない?」てことになる。
つまり、Schwaetzer氏が出来るのは
1・Schwaetzer氏の説と小倉氏の「エスニック」の用法が矛盾しない事を説明する。
2・Schwaetzer氏の説が間違ってると認定する。
3・小倉氏の「エスニック」の用法が間違ってると認定する。
の3択ってこと。 どれでもいいよ。
君は自由だ、選び給え。
Rédigé par : irose | vendredi 21 octobre 2005 à 23:55
>まともな返答がかえってこないから、まず前提について共有を得るためにこだわっていたのです。なーにが珍ディベートですか。「言い張っていた」というのであれば、さんざんトートロジーで返した上に、定義をずらした(それも「自明」と「健康」(不健康でない、なんて)で2回も!)、あなたが「言い張って」いるのです。
オイオイ、酔っ払ったとか、疲れたとか言って、議論から逃亡した人間がよくもまぁこれだけ他人様を罵倒できるもんですね。
Rédigé par : こりき | vendredi 21 octobre 2005 à 22:14
ここの前後を読んでいない失礼はご容赦いただいて、うちのコメント欄にも書いたのですがiroseさんにお返事です。どうしたものかと思いましたが、議論する時間がないので、一方的なコメントだけで失礼します。
申し訳ありませんが、Wikiの「民族」はとうに読んでます。そのうえで、わたしは主張しています。真意が伝わらなかったようで残念ですが、実質を問わずにNation、State論は不可能だし、Wikiの説明をもって「日本人」論を説くとするのであれば「国=国家」でオッケーってことになってしまいかねません。私が言っているのは「日本」というくくりが決して自明でないこと、その成立過程はドイツなどと比べても違うこと(だからどうかと言う結論部分はおいておいて)、それは無視できません。毎度言ってますように、「場合」を考慮せずにカタカナを日本語に直す(言葉を訳すると言う意味だけでなく)なんて、ムリです。
#チラッと読んじゃったから、iroseさんとは違ってバカを相手にまた返答を書きますが、「言い張って」たんじゃない。まともな返答がかえってこないから、まず前提について共有を得るためにこだわっていたのです。なーにが珍ディベートですか。「言い張っていた」というのであれば、さんざんトートロジーで返した上に、定義をずらした(それも「自明」と「健康」(不健康でない、なんて)で2回も!)、あなたが「言い張って」いるのです。
Rédigé par : Schwaetzer | vendredi 21 octobre 2005 à 21:59
ああ、今irose氏に言われて気が付きました。
あちらはおそらく最後まで「日本という概念は(私には)自明ではない」と言い張っていたんですね。
私は「日本と言う概念は(世間一般では)自明のものとして扱われる」と言い続けたし、「OO人であることを誇る人」が問題なら世間一般の認識が問題だろうと思っていたのですが。「OO人であることを誇る俺」なら話は変わるんですけれどね。
ですので私の立場だと「一般に自明と扱われてない?」「そうは思わないが?」となったら、そこで議論終了なんですよね。それを抜きに続いていたから、まあ珍ディベートではあったかもしれません。目論見は果たせたので構いませんが。
Rédigé par : Мышкин | mardi 18 octobre 2005 à 02:06
んー、「自明」とか、「言うまでもなく」とか、「○○じゃないですか」「○○なのは説明いりませんよね」ってのは、相手がそれに同意すると読んで使う言葉であって、そこを否定された場合はつまり「読みが甘い」ってことで、「自明だったはず」のところから再説明すべきなんだよね。
ただ、否定するほうもただ否定すりゃいいんじゃなくて「これこれこういうことがありうるから、一概に自明とは言えない」みたいな、そういう整然とした否定をしないといけない。
で指示アドレスの議論の場合どうかというと、なんか両者ディベートゲームみたいになっちゃってて、正直どうでもいい。
Rédigé par : irose | lundi 17 octobre 2005 à 22:29
あ、途中で送信しちまいました。
何の話かと言うと
http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/20051015#c1129475351
ここでの議論を途中休憩しているSchwaetzer氏のとこのことです。これならお戻りいただかなくてもよさそうですね。
Rédigé par : Мышкин | lundi 17 octobre 2005 à 01:28
>irose氏
直後のコメントもご覧になりまして?
>1、
こだわりとか、主観で決め付けてる
>2、
世間で自明として扱われてる事を自明じゃないと決め付けてる
>3、
本来自明というのに根拠はないのだが、根拠が無いから自明でないと言い張っている
>4、
主観で決め付ける
>5
一見関係ありそうで関係ない話を始める
と、ここまで詭弁まみれだとそろそろほほえましいですよね。貴方へのレスにしても
>個人的見解として個人主義を(あてつけ交じりに)語っている人間
個人的見解として(不特定とはいえ)他人を不健全とか言うのがネタになるなら、真面目な議論をしてる場所にひたすらコピペ荒らしをするのもOKとかなってしまいますから鼻からカレー吹きそうですよ。スナケボカレーを。
Rédigé par : Мышкин | lundi 17 octobre 2005 à 01:23