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samedi 15 octobre 2005

Commentaires

上田

自民党の憲法改正案が出ました。
この改正案によって最も敗北感を味合わされているのは実は右派では無いでしょうか。

結局、明文から判断できる実質的な改正は
9条2項のみ。それだって、現実的な効果は日陰の存在だった「自衛隊」が「自衛軍」として憲法上の存在に変わるって事のみ。(もちろん憲法上の存在に変わることにより自衛隊の社会的存在感もしくは自衛隊が一般市民に対し高圧的になるなど、接し方が変わってくる可能性はありますが)

前文はかなり変わるが、全文に盛り込まれた愛国心云々を高揚しようという意図の文言の分量だって、前文全体から見ればわずかだし、そもそも前文には裁判規範性が無いのが通説。(まあこれから右派版長沼ナイキ一審判決見たいなのが出てくる可能性はありますが)

12条で新設された国民の「責務」にしたって、まず「義務」より弱い概念であることを示すためにわざわざ新たな概念を持ってきたうえ、そもそも憲法上の国民の「義務」自体が精神的指針にすぎず、具体的な法的拘束力を持たないとされていることから、まあよくて注意規定どまり。

21条3項の政教分離規定だって、判例の規範をそのまま持ってきただけ。現状と変わらない。

76条3項の軍事裁判所だって「下級裁判所」として認められるに過ぎず、それじゃあ現憲法と同じ。

89条1項の規定も実質的に現状と変わらない。

結局、自衛隊を明文化しただけで、現憲法と実質的な差はほぼ無い。
これって現行憲法を実質的に支持したことと同じ。なんだかんだ言ってても結局、現憲法が極めてよくできた憲法であることを自民党自体も認めざるを得なかったことになる。
それって右派にとって最大の敗北ではないのか。

押し付け憲法、占領憲法といって現憲法を全否定していた右派。しかし出てきた自民党の改憲案は現憲法と実質的に変わらない。しかもこの案ですら修正を強いられるのは必至だから、仮に憲法改正が実現したとしても、改正憲法はより現憲法に文言上も近いものになることが確実。
もはや右派が望むような国家主義的憲法(運用実態とは別で憲法規範そのものが国家主義的な憲法)は不可能ということが明らかになり、その反面、現憲法が極めて優れた憲法であるということが白日の下になった。

現憲法がいかに優れた憲法であるか。憲法改正論議が行なわれる中で再認識された事実であろう。

もみ。

…何このスパマー。

ばかばか

散々コメント欄の整理をした小倉先生をJSFが笑うって、むっちゃくちゃにおかしいよね。だって、JSF自身が、自分に批判的なコメントは拒否してんだからさ。

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「魔王」の名をほしいままにしていたJSF氏は、23日から25日にかけて、「 ↑法律専門の町村ブログに平然と18禁エロゲーライターのサイトを紹介するこの人は何者?」発言をトニオ氏により批判され、対象となった高橋直樹氏の感情的な怒りを表明した後も、JSF氏は高橋氏に対して謝罪をしていない。

JSF氏のブログ「週刊オブイェクト」には賛否両論のコメントが集まった模様だが、批判コメントについてはIDを特定した上、コメント欄の書き込みを拒否している模様。「書き込めなくなった」などの声が寄せられている

JSF氏は、小倉秀夫弁護士が自身のブログにおいて以前コメント削除を励行していた際に、それを揶揄していた経緯がある。JSF氏も小倉秀夫弁護士を笑う資格はなく、所詮「裸の王様」であったのでは、との声が上がっている。
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JSFは、小倉秀夫弁護士なみの言論弾圧・コメント弾圧主義者だ。ひとのことをいえるのか。

JSFって、裸の王様だったんだね。ようするに。

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