皇室典範改正問題で問題となるのは、日本国憲法上定められた、一種の特別公務員としての「天皇」を誰にどういう順番で継承していくのかということであって、それ以上の問題ではありません。したがって、そのような「憲法上の天皇」の継承順位を定める規範が日本国憲法より下位にあることは当然のことです。
そして、日本国憲法は、「天皇の地位」については、「主権の存する日本国民の総意に基く」(1条)ということと、「世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(2条)ということを定めるにとどまっています。日本国憲法においては、大日本国憲法とは異なり、「祖宗に承けて」とか「万世一系」とかといった概念は、憲法規範には盛り込まれていません。従って、「神武天皇からY染色体を継承した者」に天皇の地位を継承させなければならない必然性はありません。
日本国憲法は、「世襲」の始期をどこに置くのか、「世襲」とはいかなることをいうのかについては、具体的な規定を置いていません。ただ、「憲法上の天皇」は、日本国憲法の施行によって創設されたものである以上、日本国憲法施行時に天皇であった昭和天皇を「世襲」の始期とするのが素直な解釈ではないかと思います。
「世襲」の意味する範囲については、議論の分かれるところだとは思いますが、今日の日本では「娘→娘の子」へと特定の地位を継承することも「世襲」に含めるのが一般的ではないかと思います。そうだとすると、例の有識者会議の提言は、憲法論的には特段の問題がないといえそうです。むしろ、現在の「世襲」概念からすれば、傍系男系承継より直系女系承継の方が違和感が少ないので、上記提言は「国民の総意」にはより近いのでしょう。
まあ、今急いで決める必要はないという意見も強いようです。確かに今国会で決めなければならないほどの緊急性はありませんが、とはいえ遅くとも秋篠宮家のお嬢様が結婚する頃までには決めておかないといけないので、そんなには悠長なことをいっていられるわけでもありません。さらにいえば、今上天皇の子孫が「憲法上の天皇」の地位を継承していけるのか否かということを今上天皇がご存命の間に決めてあげたいという思いが宮内庁関係者や小泉総理にあるのだとすれば、残された時間はそんなに長くないかもしれません(父も転移するまでは前立腺癌でしたし、年齢も今上天皇とほぼ同い年でしたから。癌を抱えて生きているというのはそういうことです。)。
以上のことは「憲法上の天皇」に関することであって、特定の宗教上の地位としての天皇の継承ルールをどうするのかということとは必ずしもリンクするわけではありません。信教の自由を認め、政教分離規定を置く日本国憲法下において、「宗教上の天皇」の継承ルールについて議会がとやかくいうべきではないからです。その結果、各宗教団体において「憲法上の天皇」の地位を継承した者を「宗教上の天皇」として戴くことはできないと考えるのであれば、「憲法上の天皇」と「宗教上の天皇」とが分離してしまうのもやむを得ません(御名御璽はともかく、「天皇」を名乗って宗教的行為を行うことを禁止する法律はとりあえずないので、「憲法上の天皇」とは別に「宗教上の天皇」を神道系の宗教団体が担ぐことに法的な問題はありません。)。
というような枝葉末節というよりも。
本来近代的な立憲国家では公務員は全員能力人格を試す試験制度・選挙制度により国民から平等に選ばれるべきもの。そうしないと不正がはびこることになります。(中国の科挙の時代より)
その最たる地位は選挙制度で選ばれる「大統領」と思います。公務員は血筋とか家系で選ばれるべきではないのです。(もちろん日本でも特定郵便局長のような例外はあるが、それは正すべき悪しき仕組みと考えられている)
世襲を目指す官僚縁故主義は nepotismと呼ばれており、これはその昔ローマ法王が自分の子供を明らかにできないので(妻帯は禁止されていた)子供を甥(nephew)にしたて、国王や枢機卿にした故事にならっています。現代におけるその最たるものが北朝鮮の金王朝です。官僚縁故主義は中国では太子党と呼ばれ一大勢力をなしています。東アジアだけでなく中近東、アフリカ、南アフリカの非立憲・独裁国家では広く見られる現象といえましょう。
そうした背景を含みつつ。
世界で最先端の立憲国家を目指した日本国憲法の第一条(機軸)で、天皇は世襲と決められています。天皇が特別公務員とみなす強弁は、あまりに現憲法を非近代的と侮辱することにつながるのでは?
Rédigé par : bold | lundi 23 janvier 2006 à 07:18
天皇にも財産権はあります(制約は受けますが。)。
選挙権のない公務員は実在します(公立高校等の外国人教師など)。
Rédigé par : Hideo_Ogura | lundi 23 janvier 2006 à 00:00
>一種の特別公務員
とありますが、天皇は選挙権、財産権などの基本的人権を保持しておりません。選挙権、財産権がない公務員なんてまさか!特別国民とでも表現すべきではないでしょうか。
次に。
憲法政治=立憲政治を始める際には条文上立派な憲法であるだけでなく、その憲法が機能するための社会的な「機軸」が必要とされています。というのも憲法は主権者と国民との間での絶対的な契約関係を必要とするからで、それが根本規範となります。
(その洞察がなかったワイマール憲法はヒトラーを生み出しました。)
アメリカ・ヨーロッパで立憲政治が成立してるのは「キリスト教」が機軸となっているからです。このことを見つけたのは、明治の指導者たちで彼らが当時はちっぽけな天皇制度を宗教化(国家神道)してキリスト教の代わりにしたてあげ、明治憲法を作動させました。その弊害は皆さんご存知のとおりです。
(ちなみにイスラム国家ではイスラム教が基軸になっており、共産国家では共産主義が宗教化して機軸となっている)
さて現在の憲法が天皇制という機軸なして作動を始めたかどうか。アメリカが作った憲法なのになぜ第一条が天皇で第二条が戦争放棄なのか。彼らが考えた重要な順に並べているのですね。
これは現憲法が作動を始めるときのことを話しているので現時点での憲法の機軸を云々言っているわけではありません。50年間続いた憲法政治はそれ自体の慣性を持つわけで。
現憲法天皇制以外の機軸を持ってはじめることができるのであれば、それは私は現実的だと思うし非常に面白い提案と思います。しかしいずれにせよ、憲法が作動する機軸についての考察は今でも重要であると思いますし、その意味でこのエントリは価値が高いと思います。
Rédigé par : bold | dimanche 22 janvier 2006 à 21:21