落合先生のブログで自動車に関する規制のお話が出ていたので、私も自動車に関する規制のお話をさせていただきたいと思います。
現在の日本では、交通事故を減少させるために制限速度その他の規制を自動車の運転手に課しているわけですが、このこと自体は多くの国民の賛同を得ています。また、交通事故が発生した場合に加害者たる運転手を特定するためのシステム(例えば、車輌登録制度及びナンバープレート設置義務等)も採用されているわけですが、これも今のところ多くの国民の賛同を得ています。なお、現在の日本では、車輌番号がわかるとその自動車の保有者がわかるシステムになっており、しかも、車両番号からその自動車の保有者の氏名及び住所を知るにあたって、当該自動車の保有者に損害賠償責任があることが明らかであること(自動車運用供用者「及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠ったこと」または「被害者又は運転者以外の第三者には故意又は過失がなかったこと」または「自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつた」ことを含む。)の立証をしなくとも(注1)、原罪時効証明書の交付を受けて、当該自動車の所有者及び使用者の氏名及び住所を知ることができます。このことも、多くの国民の賛同を得ています。
もちろん、匿名性の保障がプライバシー権に由来するものであるとするならば、自動車の運行供用者の匿名性というのも保障されなければならないという議論も成り立ち得なくはないし、「暴走車に対してはスルー」ということを原則にして「自分の身は自分で守れ」ばよいのであって、意図的な自動車事故を回避するために企業や国等にコストをかけさせるのは間違っているという議論もあり得なくはないでしょう。国民が気軽に自動車を運転できるようにするためには、交通事故の被害者が司法的な救済を受けられなくともやむを得ないという人もいるかも知れません。しかし、現在の日本ではいまのところ、そのような意見は国民の多数からは受け入れられていないということができます(むしろ、国民の多くは、Nシステムすら受け入れているのです。)。
今のネット社会というのは、自動車の例でたとえて言えば、ナンバープレートの擬装が自由に行われ、かつ、ナンバープレートがわかっても訴訟を提起して、本来立証責任が運行供用者側にある事項についてまで高度の証明責任を果たした上でなければ自動車の所有者等に関する情報が開示されないので、このような状況を利用して、自分が気に入らない特定人に対して、私的制裁のために、自動車を意図的に「つっこむ」ことが街の至る所で行われているような状態ですね。これに対して、被害者の多くは、加害者が誰かを把握することができず、泣き寝入りを強いられているような状態です。
(注1)
自動車賠償責任法第3条は、
自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命又は身体を害したときは、これによつて生じた損害を賠償する責に任ずる。ただし、自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があつたこと並びに自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかつたことを証明したときは、この限りでない。
と規定して、過失がなかったことの立証責任を運行供用者側に負わせています。