« ライブドア社の株式 | Accueil | 迷惑メール規制法概説 »

lundi 06 février 2006

Commentaires

福田

男系堅持派からは「30時間程度の議論で簡単に変更してしまってよいのか」という意見が出ていますが(例えば三笠宮寛仁親王など)、実は男系と女系とを巡る議論は明治初期の帝国憲法制定以前から行われており、明治13年に元老院が立案した「日本国憲按」や、明治18年に宮内省制度取調局が立案した「皇室制規」では女系を容認する内容となっていたりしますから(結果的に伊藤博文らの反対によって不採択となりますが)、何も今に始まった議論などではなく、100年以上前から積み重ねられてきた議論であると言えるでしょう。
(参考)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3.pdf
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai2/2siryou3-1.pdf

L'utilisation des commentaires est désactivée pour cette note.