司法改革問題についての法科大学院関係者の見解を見ていると、とにかく、法科大学院卒業者の大部分が新司法試験に合格できるように新司法試験の合格者数を増やせという類のものが多いようです。「法科大学院卒業者の大部分が新司法試験に合格できるように」するためには新司法試験の合格できるような人以外は卒業させないという方法もあるわけですが、学部ですら学生を留年させたり除籍にしたりするのは結構大変なのですから、まして、学部よりも遥かに高い授業料を徴収している法科大学院で、できが良くないからといって単位をがんがん落とすというのは現実問題としては難しいのでしょう(本当は、特に司法研修所廃止論にまで立ってしまっている先生方は、「自分に関することでも安心して任せられる」程度にまで至らない学生は卒業させないという位の矜恃があってしかるべきだと思うのですが、どうせそんな覚悟はないでしょう。)。
司法試験の合格者数を500人とするか1000人とするかというあたりが争点だったころはプロフェッションモデルか市場原理モデルかというある種理念闘争だったのですが、年3000人とか年9000人とかという話になってくると、もうそれは「法曹養成」という考えを断念するか否かというレベルの話になってくるので(現在人数の1割だの3割だのという人数にOJTの場を提供できるわけがありません。)、もう最近の司法改革論議は馬鹿馬鹿しくて、私にできることは、法科大学院の教員にはならないという程度に矜恃を保つことくらい出はないかという気がしなくもありません。
で、法科大学院関係者が新司法試験合格者数が年9000人とかになれば法科大学院の卒業者の多くが新司法試験に合格できるようになるから、自分たちは責任を取らずに済む、責められずに済む、教育に時間をあまりと割かずにその分の時間を研究に充てられるようになると期待しているのではないかと思わなくもないのですが、もしそうだとしたらそれはそれでとても甘いのではないかという気がします。
私が司法修習生だったころは法曹関係の雇用環境は需要過多でしたから、贅沢を言わなければ法曹としての第一歩を歩めないということもなかったのですが、年9000人時代はもちろん、年3000人時代だって供給過多ですから、その多くは法曹としての第一歩が踏み出せないことになります。法曹としての第一歩が踏み出せないだけで済めばいいですけど、法曹(企業内弁護士を含む)としての第1歩が踏み出せないとなると、入会金と登録料を支払えば弁護士となりうる地位を持っているとはいえ、そこにいるのは新卒採用適齢期を過ぎたおじさん、おばさんということになりますから、大卒としての処遇で雇ってくれるところを探すのだって容易ではありません(法科大学院を卒業し(あるいはさらに司法研修所も卒業し)た人物など、そのような能力を必要としていない職場ではいかにも雇いにくそうです。)。
では、法科大学院関係者は、法科大学院のお仕事は司法試験に合格させるまでで終了であり、あとは本人の自己責任ということで知らん顔できるのかというと、一部のブランド大学系列の法科大学院以外がそれをやれば淘汰されていくのではないかという気がしなくはありません。ブランド大学の系列ではない法科大学院の関係者は、法律事務所や企業等を足繁く訪問し、自校の卒業生を採用してくれるように働きかけるくらいのことをしないとだめなのではないかという気がします。教育のカリキュラムにしても、(ブランド大学系列の法科大学院ではなくて)自校の卒業生を現実に採用してくれそうな法律事務所や企業にとって使い勝手のよい人材をどのように育ているのかという観点から見直していくことが必要になってくるのではないかと思ったりします。
小倉さんのおっしゃる通りですね。誤解していたようで済みませんでした。人に読ませるためにお書きになっているわけでもないと思いますが、これからは(も)、読んでいる人が楽しくなるような記事を期待しています。これからも、楽しみにしています。ありがとうございます
Rédigé par : 弁天小僧 | mercredi 22 février 2006 à 23:38
ブログ(ウェブ日記)って、そういうものではないのですかね、本来。
Rédigé par : Hideo_Ogura | mercredi 22 février 2006 à 23:05
「・・・思ったり」されただけのことを、ことさら問題があるかのように記事にされるのは、いかがなものかと思います。もう少し、時間を有効にお使いになったらいかがでしょうか。・・・そんな風に思ったりしました。
Rédigé par : 弁天小僧 | mercredi 22 février 2006 à 19:50