現在どのような宗教を信仰しまたは過去にどのような宗教を信仰していたかという情報は、いわゆるセンシティブ情報として、もっとも秘匿されるべき情報であるということは、おそらく個人情報保護法に関する書籍を昨年またはそれ以前にお読みになっていたであろう滝本先生にもご同意頂けることだろうと存じます。そして、オウム真理教の現在または過去の信者に対する社会的な偏見が未だ根強いことは、住民票の受付拒否問題などからも明らかであり、それゆえ、オウム真理教の現在または過去の信者であるという情報は、社会的な差別を招来させる危険性が極めて高いという意味において、通常の信仰対象に関する情報以上に秘匿される必要性が高い情報であるということも、滝本先生には今更説明するまでもないことだと存じます。
では、松永さんについて、例外的にそのような個人情報を開示しなければならない事情があったのかというと、野田さんのブログを見ても、滝本先生のブログを見ても、私には理解ができません。そのようなことをすることによって生ずることが予想されることとしては、オウム真理教の現在または過去の信者に対する社会的な偏見故に松永さんが現在もっているかまたは招来もつであろう仕事をいくつか失うであろうということと、松永さんの言論活動を色眼鏡で見る人々がある程度現れるであろうということくらいであり、前者は、好むと好まざるとにかかわらず、松永さんをオウム真理教の信者たちからなるコミュニティに引き戻してしまう結果を生じさせる危険性があります。
オウム真理教問題で今やるべきことは、刑事裁判関係を担当されている方には淡々と仕事をして頂くとか、一連の事件の被害者については国として一定の補償を行うことを考える等という点を除けば、現在もオウム真理教を信仰しておりまたは過去に信仰していた人々を、我々の社会に受け入れていくことです(彼らは現に生きています。したがって、彼らを社会が受け入れまいとすれば、そこに衝突が不可避的に生じます。その衝突を避けるためには、社会が彼らを受け入れるか、彼らが生きることをやめるしかありません。後者の道を彼らに要求することは我々には許されていません。)。そして、彼らを我々の社会に受け入れる前提として、我々の法秩序に従って生きていくことを求めるにあたっては、我々の法秩序に従っても彼らが生きていけるように、彼らに孤立を強いることを我々は控えるべきなのです。
大学のサークルの先輩でもある滝本先生にこのようなことを述べるのは大変心苦しいのですが、滝本先生がおやりになっていることは、むしろ滝本先生が実現しようとされていることとの関係では、むしろ逆効果なのではないかと思う次第です。