ある団体に未だ恐怖を感じていたら、その団体やそれに属する人やそれに属していた人に不快感を与える言動をお気楽にできるのかというと、普通はそういうものではないので、ことのは騒動の「粘着する側」の動機を「恐怖」に置くのは実態に合致していないように思います。
むしろ、従前からよくある「上から目線で語りたい」症候群の一種なのではないかと思うのです。大したことをしていない人が「上から目線」で物を語るためには、ある程度の人々にとってネガティブに評価すべき属性を有している人を見つけることが必要であるところ、「オウム真理教の信者であった」等の属性はそれなりに多くの人々にとってネガティブに評価すべき属性と認識されているので、「上から目線で語りたい」人々の格好の餌食に松永さんがなってしまっているということです。
「上から目線で語りたい」症候群の人々にとって、折角「上から目線」で語っているのに相手が自分たちにひれ伏さないのは非常なストレスなので、松永さんのその後の言動には大いにストレスを感じていることだとは思うのですが、あとはどちらが根負けするかという勝負なのでしょう。
そういう意味では松永さんは「煽り耐性」の強い人だからよいとして、松永さんと一緒に行動をしたことでイチャモンをつけられている泉さんや近藤さんとかの方が、「煽り耐性」が弱そうなので、心配です。実際には、私たちの社会では、他人の共同して何かを行動するにあたって、その他人の過去やプライバシーをいちいち詮索しないわけですから、泉さんも近藤さんも、「上から目線」で語られなければならないような人たちではないのですが、「上から目線」で語れるか否かというのは語る人の主観に専ら依存していますので、実際に語られてしまっているということです。
Commentaires