山口母子殺人事件についていえば、新たに就任した弁護人による反論書の提出がいまさら数ヶ月遅れることがそれほど許されないこととは思えません。
仙台筋弛緩剤混入事件についていえば、弁護側の再鑑定申請を容れて再鑑定をすることによって審理がいまさら数ヶ月遅れることがそれほど許されないこととは思えません。
オウム真理教事件についていえば、精神的な病に冒されている被告人について精神科医による治療を施して弁護人と意思疎通ができるようにすることによって審理がいまさら半年程度遅れることがそれほど許されないこととは思えません。
死刑や無期懲役などの重刑が想定される事件の審理においては、訴訟経済や迅速性を犠牲にしてででも、やるべきことはしっかりやらせてあげる必要があるのではないかと思います。
テレビ等でしたり顔で当該事件の弁護人たちを非難する弁護士たち(その多くは元検事さんですね。)がいるわけですが、「そんなにいうなら、この種の事件はあなた達で受けたらいかがですか?」といいたくなります。弁護人にやるべきことをやらせない裁判所に対してそれでもなお弁護人が普通に出頭し、できる範囲内で書面を提出してみたって、「裁判所は、刑事訴訟法が、憲法が、国際人権規約が保障する「弁護士による弁護がなされた裁判」を実践して見せました。」という外形を作ってみせる役にしか立ちません。
私も、刑事弁護を引き受けてしまうと手抜きをしたくなくなる性分なので、自分がこれらの事件の弁護人だったら何ができたのだろうと思うと、暗澹たる気分になります。そして、今の日本の刑事司法システムの下では、とてもではないが刑事弁護など引き受けられないなと改めて思います。被告人を死刑に処すためのできレースで「弁護人役」を淡々と演ずるなど私はまっぴらごめんですから。
>被告人を死刑に処すためのできレースで「弁護人役」を淡々と演ずるなど私はまっぴらごめんですから。
これは、連戦連敗を繰り返しながらも、今の刑事司法システムの中で必死に刑事弁護をされている弁護士を侮辱する言い方に読めてしまいます。
小倉先生の本意ではないと思いますが。
Rédigé par : モトケン | mardi 28 mars 2006 à 22:39