人を信じれば、裏切られることもあります。
そのような人を信じてしまったことによる精神的な衝撃、そのような人を信じてその人のために費やしてしまった時間や費用。そういう諸々の損失を甘受することは、その人を信じてしまったことに由来する自己責任の枠内と言えるでしょう。
あるいは、その人に心酔するがあまり、その人のために法を犯したりした場合にはその過去の行動に対応した罰を受けるべきでしょう。
しかし、信じた相手が大悪党だったということから、信じた相手の行った悪事の数々についての法的または道義的な責任を負わなければならないというのは筋が通りません。
私たちは、自己が関与したことに対してのみ責任を負うことを原則とする近代法原理が成立している社会に現在いるはずです。
人を信ずることのコストを必要以上に高めるような言動には、私は賛同することはできません。
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