讀賣新聞は、平成18年4月13日付の社説で、「『個人の尊厳を重んじ』などの表現が多い反面、公共心の育成には一言も触れていない」現行教育基本法には、「制定当初から、『社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励する」と指摘する声があった』」が、「青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延(まんえん)などを見れば、懸念は現実になったとも言える」としているようです。
しかし、「ライブドア事件」といってみても「風評の流布」といわれているものについていえば法人格のない投資組合を証券取引法上どう扱うのかというある意味法技術的な問題ですし、「粉飾」といわれているものについていえば企業グループ内において黒字企業と赤字企業がある場合に黒字企業の黒字分の一部を赤字企業に渡したという程度の話ですから、「自己中心の拝金主義的な考え方」の現れと見るのはどうかなあという気がします。もちろん、この社説を書いた人たちが言う「ライブドア事件」というのは必ずしも起訴の対象となった事件を指しているのではなく、「株価至上主義」的な観点から企業買収を繰り返したり株式分割などのきわどい手法を実行していったライブドアの一連の企業活動を指している可能性もあります。ただ、ライブドアはそのような企業活動についてはある意味包み隠したりしていなかったのであって、自民党にせよ経団連にせよ、そういう行動原理で動いているライブドアなり堀江社長なりを積極的に受け入れて、選挙で支援したり、会員に加えたりしてきたといえるわけで、自民党が「自己中心の拝金主義的な考え方」はけしからんと考えているのであれば、教育基本法を改正して愛国心や公共心を子供たちに教えるという迂遠なことをするのではなく、そういう「自己中心の拝金主義的な考え方」をしている人や企業を遠ざけることから始めるべきなのではないかという気がします。
いずれにせよ、この社説を書いた人は、教育基本法を改正して公共心やら愛国心やらを学校で教えるようになると、「青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延」を防ぐことができるようになると考えているのだということが推定されるわけですが、それを教えると「青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延」を防ぐことができる「公共心」なり「愛国心」なりというものの内容というのが私にはとんとわからなかったりします。最近は「ジェンダーフリー」という言葉は定義が不明確であるから使うこと罷り成らんみたいなことをいう人たちが少なからずいるようですが、「ジェンダーフリー」以上に「公共心」とか「愛国心」とかというのは定義が不明確なのではないかと思うので、「青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延」を防ぐことができる「公共心」なり「愛国心」なりというものは具体的にどのような行動原理を生み出す精神状態を指すのかということを、教育基本法の改正に積極的な方々がまず言及すべきなのではないかという気がします(心の荒廃した青少年や低年齢の犯罪者が主観的には「愛国者」だったりすることが結構あることは、欧州のネオナチやフーリガン、日本のネット右翼さんたちを見るといえてしまいそうので、のんべんだらりと「愛国心」なんて言葉を使ってしまうと、却って逆効果なのではないかという気がしなくもありません。)。さらに欲を言えば、「公共心と愛国心にあふれた大人」のモデル像が提示されているとより議論はわかりやすくなります。教育基本法を改正して「公共心」と「愛国心」を子供たちに教え込むべきだと主張している当の大人たちが模範的な「公共心と愛国心にあふれた大人」なのだとしたら………ちょっと願い下げです。
そう考えると、今回の教育基本法改正問題では、「公共心」「愛国心」教育の理想的な到達点であるところの「公共心と愛国心にあふれた大人」のモデル像に関する議論が足りないのではないかという気がします。おそらくは教育基本法を改正して「公共心」と「愛国心」を子供たちに教え込むべきだと主張される方々は当然自ら「公共心」と「愛国心」を主たる行動原理とすることに異存はないのでしょうから、まずは、これぞ「公共心と愛国心にあふれた大人」の行動パターンなのだということを身をもって見せて頂くことが肝要なのではないかという気がします。
「まず隗より初めよ」ではありませんが、「タイムシフト視聴をされると広告料が下がるかも知れない」とか「自分たちに無断で自分たちの放送を利用して設けている企業があるとインセンティブが下がる」等の自己中心的な考え方をやめて、「視聴者が番組を見逃すリスクを軽減させる」という「公共の利益」を慮って、「選撮見録」訴訟を取り下げるように系列の讀賣テレビに言ってくれませんかね>讀賣新聞の社説を書いた人