コメントスクラム等にネガティブではない人たちはいわゆる「騒音おばさん」が逮捕され、処罰されたことに反対ではないのでしょうか?
特定の隣人に対して引っ越すように強く促すというのは「表現」行為と一応言えますし、毎日執拗に「引っ越せ」等の声が聞こえるのがいやなのであればそのような声が聞こえないように防音工事を完璧に行うなどして「自分で自分の身を守れ」ば良かったとも一応言えますし、「騒音おばさん」を逮捕させなくとも当該隣人がおとなしく引っ越しをすればそれはそれで丸く収まったとも言えます。
コメントスクラム等の嫌がらせ等を「表現」行為として強く保護すべきとし、ネガティブなコメントを見たくなければコメント欄を閉じたりブログをたたんだりすればよいことだとして粘着君を擁護しブログ主に我慢と忍従をを要求する人は、「騒音おばさん」事件についても、「騒音おばさん」を擁護し、当該隣人に我慢と忍従を要求すべきであったと言えそうです。
私は、そういう考え方には与しないのですが。
ははは、簡単なことです。
量の問題でしょう。
一回では大してビッグに扱われないことでも、継続して行われれば話は変わってくるでしょうし、
あるいは被害金額の大小、事件の大小という物も関わってくるでしょう。
同じ子供の落書きによる弁償でも、壁の落書きとベンツへの落書きでもその後の対応は変わってくるでしょうし。
私としても、この間暴行の被害届けを提出した事件についてきっちり捜査してくれるならそんな嬉しいことはないのですが、さすがにそれで刑事何人も投入せよとかゴネるのもなぁ(苦笑)
という常識のお話じゃないかと。どこまで我慢できるのか、できないのか、そしてそのコンセンサスが取れているのか、といったところですか。
Rédigé par : サスケット | jeudi 06 avril 2006 à 01:24