佐々木俊尚さんの「ITジャーナル」がこの3月で終了しました。
その最後のエントリーである「インターネットの理想と実態」で、
だが実態としてはどうなのだろう? たとえば最近起きた経済産業省の現役部長のブログが炎上した事件や、泉あいさんのGripBlogで起きた事件などを見ていると、ネットの理想というものに対して何か暗然とした気持ちを抱いてしまう。もちろん批判する側にもなにがしかの正当性はあるというのは否定できないのだけれども、それにしてもわれわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか——そんな思いに囚われてしまう。と仰っていたのが、とても印象的でした。
自律、分散、協調 ─── 「一部の人」が他人を不幸にするためにネットが悪用、濫用されることを少しでも防ぐために、私たちは、このネットの理想に沿って何をしてきたのだろうか、そしてこれから何ができるのだろうか。悪意に晒される人々に対して「ネット社会なんてそういうものだから諦めろ」という前に、私たちは、ネットから悪意を少しでも排除していくために、ネット社会を構成する者として、それぞれのポジションにおいて何ができるか、そして何をすべきかを、真剣に問い直すべきなのではないか。そんなことをついつい考えてしまいます。
もともと軍事用技術が民間に開放された所から始った物にどんな期待をしているのでしょうか?
学者や学生がメインユーザーの頃は論文に対する論争では今以上に喧々諤々の論争もあったのだし
ネットも一つのツールでしかなくてある人を幸福にする事もあるし、またある人を不幸にする事もあるってだけです。
要は使い方を誤まらないことだけだと思いますが?
人間が火を扱うようになってから文明が生まれたように
必要以上に燃やさない事こそが人間の智恵ですよ
Rédigé par : sakimi | lundi 10 avril 2006 à 23:40
「われわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか」という暗然とした気持ちを抱かない人もたくさんいて、そういう人たちに「われわれの求めていたインターネットというのは、こういうものだったのだろうか」という暗然とした気持ちを伝えようとしても、それがいかに困難かということをつくづく感じてしまいます。それでも尚、伝え続けることが望ましいのでしょうが・・・。
Rédigé par : 福田 | lundi 10 avril 2006 à 09:57