「子供たちを愛国者に育てる」必要がないのであれば、「教育の中に正しい愛国心を入れる」必要はないように思うのです。
それぞれが考えている「愛国心が涵養された大人」に自分の子供をすることに過半数の人が反対するのであれば、義務教育の中で愛国心教育を行うのは良くないのではないかという気がします。
例えば、「たほいや」が実は「それを食べると、大人たちのいうことはどんな理不尽なことでも素直に聞くようになる」成分を大量に含むものだったりした場合には、そんなものを自分の子供に食べさせたら、これから悪い大人たちに何をされるかわかったものではないので、普通の親ならばそんなものは自分の子供には食べさせたくはない(他人の子供が食べてくれる分には、あとでいいように利用できるので、良いのかもしれませんが。)のだろうと予想できます。そういうものを、「給食」として強制的に食べさせるのが妥当かといえば、妥当ではないでしょう。
【本日の教訓】
人のコメントは正確に読み取ろう
意図的な論理の摩り替えでない限り
Rédigé par : 忙中閑人 | vendredi 02 juin 2006 à 00:44
すいません、あまりにも酷いすり替えなので追加でコメントします。
>それぞれが考えている「愛国心が涵養された大人」に自分の子供をすることに過半数の人が反対するのであれば、
私が過半数の人が反対すると言ったのは、前コメントで、
>現在話し合われているのは、「子供たちを愛国者に育てるかどうかの是非」ではなく「教育の中に正しい愛国心を入れるかどうかの是非」です。2つは明確に違います。もしも前者についての話であれば多分過半数の人は反対すると思います。
の部分です。「子供たちを愛国者に育てるかどうかの是非」であれば多分過半数の人は反対すると思うと書きました。
貴方は「愛国心が涵養された大人」=「愛国者」ではないのか。と思っているようですが、私が言っているのは、「貴方が思っている愛国者」は教育の中に入れようとしている「愛国心が涵養された大人」ではないといってます。
愛国心は遵法精神とは相反するなどという間違った愛国心を持つことがないようにしましょうと言っているだけで、正しい愛国心が涵養するかどうかは、本人の自由ですから強制ではありません。
Rédigé par : 平田 | jeudi 01 juin 2006 à 20:49
お願いですから人のコメントを2,3回でいいですから読んで、よく考えてからお返事書いてください。
「子供達を愛国者に育てる」ということと「正しい愛国心を教える(教育の中に愛国心を入れると同じ意味)」というのは全く違います、といっています。
例えば子供達が大人になった時に愛国者になりたいと思った時(「なるな!」とも「ならない方が良い!」とも貴方は思ってないと「思っている」わけですからこれは許されますよね)に、正しい愛国心を教えてもらってなければ正しい愛国者になれないかもしれません。正しくない愛国者というのは多分貴方が心配(危惧)している人たちかもしれません。逆もあります、嫌国者になりたいと思った時も正しい嫌国者になれないかもしれません。正しくない嫌国者がいるかどうかは別にして(苦笑)、おそらく多くの日本人は、まず、正しくない愛国者は良くないことは知っています、次に正しくない嫌国者がさらに良くないことも思い知りました。
愛国者も嫌国者もそうでない人もいてもいいけども、少なくとも正しくない人たちは良くないので、そういう人たちをなくすためには正しい愛国心を教えることが必要だと気が付いただけです。正しい愛国心を知っているからといって愛国者になるわけでもなれるわけでもありません。そんな心配というか考え方をすること自体、貴方が正しい愛国心を教えてもらってないからではないでしょうか?というのが始めから言っている私の意見です。
もう一度言いますが、今話し合われているのは「子供達を愛国者に育てるかどうか」ではなく「子供達に正しい愛国心を教えるかどうか」です。法律ですからそれこそ将来に万が一、悪い政治家が曲解して変に利用することがないようにするために文言をどうするかが話し合われているだけで、貴方が言っているような議論がなされているわけではありません。
さらに何度も言いますが、教育にそんな文言を入れなければならなくなったのは、愛国心を間違って理解している大人が少なからずいるからです。もしかしたら、いいように利用されているのは間違った愛国心を教え込まれた人たちのほうかもしれません(涙)。
Rédigé par : 平田 | jeudi 01 juin 2006 à 20:18