コメントスクラムが問題となる場合、「確かにレベルの低いコメントや単なる罵倒などもあるけれども、中には質の高いコメントや批判もあるから、そういうものを選んで応答すればいい」というような言い方がなされることがあります。
そうはいってみても、実際のコメントスクラム現象を見ていると、少なくともコメントスクラム化してからスクラム側でなされたコメントや批判の中に質の高いものが含まれていることは稀です。といいますか、コメントスクラムを担う側としても、既存のコメントではブログ主の発言に対する批判としては弱いと思うからこそ、さらなるコメントを投稿するわけでしょう(むしろ、既存のコメントがブログ主の発言に対する批判として的を射ていることが明らかな場合、同方向の批判コメントをさらに積み重ねてコメントスクラム化させることにより、上記「的を射た」コメントが埋もれてしまいますし、当該コメントにブログ主が答えなくとも仕方がないという雰囲気が醸成されてしまいますから、それは不合理な行動であるといえます。)。逆にいうと、自分の批判コメントのあとに自分の批判コメントと同方向の批判方向が延々と続くということは、それらの後続コメントの投稿者からみても、自分の批判コメントではブログ主をやり込めることはできないと思われている可能性が高度にあります。
あと、ブログ主が「少しはましなコメント」に答えたときに、揚げ足取り的なコメントや人格非難の意味しかないコメント等が複数投稿される場合がしばしばあります。これは、ブログ主の回答が的を射たものであり、このまま手をこまねいていたのではブログ主をやり込めることはできないという危機感の表れということができるでしょう。ブログ主の回答よりも元コメントの方が説得的である場合には、そのような揚げ足取り的なコメントや人格非難の意味しかないコメント等は全く不要ですし、折角自分たちにとって好ましいやりとりを、くだらないコメントの固まりの中に埋もれさせてしまうという意味で却って有害ですから、まともな戦略眼を持っている人々であればそのようなことはしないのではないかと思われます。
>コメントスクラムに参加される方々は、従前の批判コメントではブログ主の見解を批判するのに足りないから、自分の方がもっと的確なコメントを投入してやろうとか、質ではブログ主を凌駕できそうにないから量で圧倒してやろうとか、そういうことで、従前のコメントを埋もれさせるようなコメントを投稿しているのではないのですか。
ん?疑問系?
ええ、たとえば私もコメンツスクラーム!の対象に小倉さんには数えられたことはありますが、
「私はもっと的確なほう」ということもないわけではありませんが、
大好きなのはアレですな。
通常の斜め上。
まじめに言えば違った見方をすること、というところですか。
ところで、【従前のコメントを埋もれさせる】例として2つ挙げられていますよね。
1.【自分の方がもっと的確なコメントを投入してやろう】
2.【質ではブログ主を凌駕できそうにないから量で圧倒してやろう】
後者はともかく、前者であれば目指しているところは的確なコメントですよね。
だったら、問題ないじゃないですか。
結果的に数に埋もれているだけで、【的確なコメントを目指す鶴】がいるわけですよ。
まあ、私のように語彙が足りなくて読みにくいアヒルの子(笑)になっている人もいるかもしれませんが、そこまで厳しいこと(それを迷惑行為扱いするとか)は私は言わないなあ。
> 結果的には従前のコメントと同等又はそれ以下のコメントでも主観的には従前のコメントよりも的確なコメントだと信じてコメントを投稿してしまう方には、「もう少し頑張って勉強して的確なコメントが投稿できるようになってね」と少し温かい目で見てあげることができるのですが、それ以外の方って、むしろブログ主と従前のコメントの投稿者との間の議論を有意義には成り立たなくするためにコメントを投稿しているということになるので、かなり問題がありそうです。
そうです。それですよ。私の言うたとおりでしょう。
【それ以外の方って】
掃き溜めに鶴がいる、しかしおっしゃるとおり、【それ以外の】掃き溜めさんたちは迷惑でしょう。
だからそこを識別して的確にコメントを返すのがうまい人。
迷惑な人をきっちり排除して続ければいいのですが、小倉さんのように【それ以外の方】と【鶴】を一緒くたにして排除しまうことが、前のエントリのコメント欄で嫌がられていたことだと思いますよ。
Rédigé par : サスケット | dimanche 25 juin 2006 à 01:17
コメントスクラムに参加される方々は、従前の批判コメントではブログ主の見解を批判するのに足りないから、自分の方がもっと的確なコメントを投入してやろうとか、質ではブログ主を凌駕できそうにないから量で圧倒してやろうとか、そういうことで、従前のコメントを埋もれさせるようなコメントを投稿しているのではないのですか。
結果的には従前のコメントと同等又はそれ以下のコメントでも主観的には従前のコメントよりも的確なコメントだと信じてコメントを投稿してしまう方には、「もう少し頑張って勉強して的確なコメントが投稿できるようになってね」と少し温かい目で見てあげることができるのですが、それ以外の方って、むしろブログ主と従前のコメントの投稿者との間の議論を有意義には成り立たなくするためにコメントを投稿しているということになるので、かなり問題がありそうです。
Rédigé par : Hideo_Ogura | samedi 24 juin 2006 à 23:41
>「結託」していなくとも、既に真っ当な批判コメントが付いていれば、自分たちのくだらないコメントでこれを埋もれさせるのは得策ではないということくらい、普通わかるのではないですか?
小倉さん。
その分析が矛盾してるんですヨ。
もちろんそれをわかってコメントをつけない人間もいれば(私もその一人だし)、
特に前のコメントも自分のコメントもくだらなくないと思って「同意」を表明する人もいるでしょうし(私もその一人だし)、
むしろ前のコメントの斜め上を狙うぜーという人もいるでしょうし、
当然、くだらないとわかっていて感情で書き込む人間もいれば(つまり有効性なんか考えていない)、
そもそもコメントでつぶそうとしていないからそんな理屈(勝ち負けに不合理な【戦略】かどうか)を考える必要もないという人もいるでしょう。
だって、批判して勝ちたいと決まったわけじゃあないでしょう。
これは議論で勝負して勝ち負けを決めたい人間にしかあてはまんない。
という点がひとつ。
で、第二点目の矛盾。
■【自分たちのくだらないコメントでこれを埋もれさせるのは得策ではないということくらい、普通わかる】
ならば。
これが「普通わかる」ことならば、後につくコメントは、前のコメントより良くなっている。→掃き溜めに徐々に鶴がキタ。
この分析によって導き出される回答:「前がくだらない、負けそうだから」さらに良いものを投下している。
ということになる。これは良いことではなかろうか。
第3の分析の問題点。
> まあ、これは「コメントいっぱい=レベルが低い(掃きだめに鶴がいることは滅多にない)」ことの原因についての分析であって、証拠ではないのですが。
なるほど、どうも私は語彙が乏しくて失礼しました。
とまれ、この分析は、「前がくだらない、負けそうだから」さらに良いものを投下して勝とうよ。ということですよね。
前の意見がしょぼいから、後の意見で勝利を狙う。
この理屈。つまり、たいしたことのない前の意見(エントリ)だから、さらに勝率を上げた後の意見(コメント/反論)がくる。
ということですから(笑)
【最初の意見(エントリ)が正しかったらコメントがつく必要ないでしょ!!!】
なんちゃって(笑)
結託していないからこそ、多様な意見があるということでしょう。
で。
・小倉さんに同意権だから書き込まない人
・「小倉さんに同意」を書き込む人(小倉分析ではこれは掃き溜め(笑))
・小倉さんよりいい意見を言おうという人
がいるんじゃないですかね。「コメントとコメントの後続」に限った話ではなく、「エントリとコメント」にも当てはまることです。
せっかく小倉さんに同意してくれる人まで掃き溜め扱いせんでもいいと思いますよ。
Rédigé par : サスケット | samedi 24 juin 2006 à 20:08
「結託」していなくとも、既に真っ当な批判コメントが付いていれば、自分たちのくだらないコメントでこれを埋もれさせるのは得策ではないということくらい、普通わかるのではないですか?
まあ、これは「コメントいっぱい=レベルが低い(掃きだめに鶴がいることは滅多にない)」ことの原因についての分析であって、証拠ではないのですが。
Rédigé par : Hideo_Ogura | samedi 24 juin 2006 à 19:40
>コメントスクラムを担う側としても、既存のコメントではブログ主の発言に対する批判としては弱いと思うからこそ、さらなるコメントを投稿するわけでしょう(むしろ、既存のコメントがブログ主の発言に対する批判として的を射ていることが明らかな場合、同方向の批判コメントをさらに積み重ねてコメントスクラム化させることにより、上記「的を射た」コメントが埋もれてしまいますし、当該コメントにブログ主が答えなくとも仕方がないという雰囲気が醸成されてしまいますから、それは不合理な行動であるといえます。)。
>あと、ブログ主が「少しはましなコメント」に答えたときに、揚げ足取り的なコメントや人格非難の意味しかないコメント等が複数投稿される場合がしばしばあります。これは、ブログ主の回答が的を射たものであり、このまま手をこまねいていたのではブログ主をやり込めることはできないという危機感の表れということができるでしょう。
私の分析は違いますな。
結局のところ結託しているわけではないので、私が発言したからといって、同じ意見を持つ人が発現しなくていいやと思うかというとそんなわけはない。
自己顕示欲、というのかな。うまい言葉が出てきませんが、「黙って同意」では参加した気にならない、という感覚か。
小倉さんとて、反対意見が出た事例に対し、同じ発言を繰り返したりするでしょう。
たとえば。
【自身があったら、一回言えば後黙ってればいいんじゃないの?
反対意見がついたからって、必死になって返事するのは自分の意見に自信がない証拠だよ】
【小倉さんの回答が説得的であったなら、匿名の利点を話す人間に、揚げ足取りよろしく泣き寝入りを認める悪人呼ばわりみたいな人格非難なんてしなくていいんだよ】
みたいな(笑)
つまりはこういうことです。
このエントリの感覚で動くと上記例みたいにばなってしまう。
そういう自信がないとか、負けちゃうかも、なんて危機感があってやってる人間人間がいないとは思いませんが、
「他人が同じ意見とかしらんし。俺も一言言いたい」
みたいなことを考える人は多々いるということでしょう。トラックバックによる話題の連鎖もそうだね。
コメントいっぱい=レベルが低い(掃きだめに鶴がいることは滅多にない)証拠というには薄いですな。
Rédigé par : サスケット | samedi 24 juin 2006 à 19:18