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dimanche 11 juin 2006

Commentaires

サスケット

>irose さん
>「残留農薬や食品添加物はゼロには出来ないんだから、食紅ぶっかけまくって何が悪い」みたいなもんか。

ソレを防ぐために
>>そういう選別が出来ない、空気が読めない痛い教師さんは、奴隷貿易だろうが魔女貿易だろうが、あなたの意見をさしはさむのは全面的におやめください。
と言いたいトコロ。(というか言ってる(笑))
 
 
 
>憑依さん
>そこは人類の知恵の両論併記です。
 
同意です。
>>問題視される教師はまず客観的にそれを考えないといけないね。
>>教えるにしても、何で反対意見が出るのかとか、そういうところも込みで教えるとためになるんじゃないかとおもうんだけどな。
 
 
 
>小倉さん
>ナチスドイツによるユダヤ人の虐殺をテーマにする場合、これをネガティブに捉える側の論理のみを教え、これをポジティブに捉える側の論理と並列させてニュートラルに並列させては教えない教師が、「教師の趣味の押しつけ」であるとか「教師の主観による選択」を行ったとして糾弾されるとしたら、それはおかしいとしか言いようがないように思うのですけどね。

ツッコミ済みです。おかしいと言った上で、おかしい理由も解説しております。脊髄反射はおやめください。
>>要するに、一般的にこの手の話題なら自分の意見は他人の意見とそう変わらないだろうな、というものは、変わらないからこそ、空気を読まずに趣味で主張しても「たまたま一致する」。
>>そういう選別が出来ない、空気が読めない痛い教師さんは、奴隷貿易だろうが魔女貿易だろうが、あなたの意見をさしはさむのは全面的におやめください。

##ちなみに世の中には「おかしいと思われた時にはな、ペッシ!既におかしい理由まで解説済みなんだよ!」という言葉があるそうです。ペッシ AND プロシュート兄貴で検索してください。(ねえよ)
 
 
 
>そういう異端説が残っている場合にそれらをニュートラルに併記して教えなければならないというのも大変な話ですね。
余裕です。

[こういう意見が主流ですが、現実そうだったかは確実に判っているわけではありません。中には異説もあります。例えば…(異説の余談に移って笑いや興味を取って生徒の眠気を覚ます)]

別にこの通り、ありのままでよいはずです(全論併記しなくても客観性は満たせる)が、空気の読めない無能な教師はこの程度の発想もないのでしょうか?
あの場合できない、この場合できない、全然無理~なので自分の趣味を間違って言っても見逃せ、とかですか?もしそうなら無能な教師ですね。
こんな他力本願で応用力のカケラもない無能な教師に教えられたくはないものです。無能が感染したら困る。辞めて欲しいものです。全く大変な話ですね。

#そんな駄目だったら上意下達で教科書か指導要領に全部書いとかないともう駄目なのかもわからんね。
#ソレこそ完全にオクニに依存だけど、出来ないって言うなら仕方ない。
#反対意見や異論は教科書だか指導要領だかの段階で出してもらって、アレデキナイコレデキナイな無能(を含む)末端教師はその議論の結果の載った教科書どおりを教える、としたほうが全体的に公平でいいのかもしれん。

補:異説が残る余地がないほどか細い(主流ばかりで異説がほぼ根絶されている状況)場合については、既出の【一般的にこの手の話題なら自分の意見は他人の意見とそう変わらないだろうな】のパターンどおり言わなくてもさして問題にならない部分

#コメントアウト文字「#」数が多いほど本題から外れます

sakimi

>一般論として「歴史的事実認定に争いがあれば、そこは人類の知恵の両論併記です。」と仰る方がおられますので。

朝日新聞式方法ですね。
土地を借りているだけの人が地主にここは自分の土地だと主張しても無意味だし、裁判を起こしても勝てるとは思いませんが?

>真っ当な歴史学者から全然支持されていない少数説だって両論併記すべきって話ではないのですか?

そうしてもいいけれども、テストで解答欄が一つだけあった場合には大多数が支持する物を答えなければ点は貰えないでしょうね

両論併記してもその程度の扱いしか出来ないと教えて置く必要はあるでしょうね

平田

いつものように誤読王の御蔭でグダグダになってますね(涙)。

>U-meさん
>ちなみに小倉さんが例にあげた3つの異端説、いずれも「残ってる」とは言えない状態だと思います(笑)
過去にそう主張した人が存在したのは事実ですけどね。

ちなみに確認ですが、これは、「小倉さん」ではなく、「福田さん」の間違いですよね(前エントリであげていた)。ところで日本が朝鮮半島を侵略したという珍説はまだ残っているんですかね。

まあ、それはともかく、
>憑依さん
>大事なことは
>    事実認定は価値判断に先行する
>という歴史学の基本を守ることが必要でしょう。

というのが結論だと思います。そういう意味では物理学も歴史学も学問の本質は何も変わらないわけで、学問とは何かを小学生の時にしっかり教えておくことが大切なのではないでしょうか。
 そういう意味でも教育基本法改正は必要だという結論が出たようですね。

佩里(ハイリ)

憑依さん>

 M$社とネゴしているわけじゃないんだから、先方の出方を予測して事前にエスプリ(ジョーク?)の布石を打ちつつ誘導落とし戸(キャナリゼーションズ・ドロップイン)を設定するのは関心しないですよ(笑。

>これはカントの「純正理性批判」からパクリ…もといw…インスパイアされたものなんですけど

 確かゲーテも同じことを言ってますよ。原典はそらんじてないので、ゲーテ研究家のご主人がご存知のはずです。

小倉先生>

>まともな歴史学者は、桃太郎伝説をそのまま歴史的事実とは受け取っていないと思いますが。
 
 これはエスプリに対するジョークの切り返しですよね。アイスブレーカーですよね。それとわかるように最後に「(爆。」とでも入れておけば憑依女史だって誤解しなかったと思いますよ。小倉先生がお茶目な一面を保持されているのを見て安心しました。
 「伝説をそのまま歴史的真実」と書けば「伝説」と「歴史的真実」というイチ成句自体に語彙の矛盾が並存しているので、並存に気付いた人には小倉先生が意図的なジョークをフザケテ書いているとすぐに判りますよ。ご安心ください。

憑依

そうそう、このブログには誤読王さんたちが粘着しているから明言しておきましてよ。

>誰がみたって下記ご見解に対するエスプリを効かせたコーヒーブレイクじゃないですか(笑。

      は

>Rédigé par: 憑依 | le Monday 19 June 2006 à 10:09

    に対するものです。

憑依

小倉先生、誤解されないように明言しときましてよ。ここですよ、ここの冒頭の1行。誤読王は別として、読んだ皆さんが誤解なされないように想定の範囲内であるようにと。先生は全く読まれなかったようですね。
 
>たまにはコーヒーブレイクを。
>(中略) 
>笑う門には福来たれり(苦笑

>Rédigé par: 憑依 | le Monday 19 June 2006 à 01:04

Hideo_Ogura

 私に関する時間の流れでいくと、「『鬼が島鬼退治事件がありました。これをないという説もあります。」云々というコメントの後に、「聖徳太子は蘇我馬子だったとか、邪馬台国はエジプトにあったとか、源義経はモンゴルに逃れてジンギスカンになったとかそりゃいろいろな学説はあるわけですが」というコメントが来ているのですが、将来なされるであろうコメントを予測して、それに対する「エスプリを効かせたコーヒーブレイク」を行うとは大したものですね。はあ。

憑依

>まともな歴史学者は、桃太郎伝説をそのまま歴史的事実とは受け取っていないと思いますが。
 
いやですよー先生、マジレスされては。誰がみたって下記ご見解に対するエスプリを効かせたコーヒーブレイクじゃないですか(笑。
 
>聖徳太子は蘇我馬子だったとか、邪馬台国はエジプトにあったとか、源義経はモンゴルに逃れてジンギスカンになったとかそりゃいろいろな学説はあるわけですが、

憑依

>>ただいずれにしろ、いつも極端例でしか反論できない見解というのは、どこかに重大な欠陥があるものですよ。

>論理学がうんぬんなどとおっしゃっていた方からそんな迷信めいたことを言われても。
 
「迷信めいた」なんて非合理的なことを言われては議論の放棄ですね(苦笑。それに、これはカントの「純正理性批判」からパクリ…もといw…インスパイアされたものなんですけど、そうですか「迷信めいた」ものですか、そういう解釈があるとは大変勉強になりましたわ。

憑依

>そうですね。しかしながら、「1」そのものは記号、つまり言語に過ぎないわけで、例えばカント的な「物自体」ではありません。したがって1+1=2が成立するためにはそもそも「1」の言語的な意味を決定しなくてはいけませんから、

 あなたは小学生低学年に足し算を教えられませんね!


>「倫理=主観」という解釈は一見もっともらしく見えますが、単なる誤解に過ぎないと言えるでしょう。
 
 「倫理」に「主観」を持ちこんで仮想的を創作してあれこれ非合理的な攻撃を加えたのはあなただけですよ。いったい何を言っているのですか(笑。

Hideo_Ogura

まともな歴史学者は、桃太郎伝説をそのまま歴史的事実とは受け取っていないと思いますが。

福田

>ただいずれにしろ、いつも極端例でしか反論できない見解というのは、どこかに重大な欠陥があるものですよ。

論理学がうんぬんなどとおっしゃっていた方からそんな迷信めいたことを言われても。

福田

>ただ、伊藤博文が暗殺された事実、浅沼稲次郎が暗殺された事実、という事実の客観面は、主観から切り離して客観的に教えることが可能です。1+1=2であって3でも1でもないですから。

そうですね。しかしながら、「1」そのものは記号、つまり言語に過ぎないわけで、例えばカント的な「物自体」ではありません。したがって1+1=2が成立するためにはそもそも「1」の言語的な意味を決定しなくてはいけませんから、決定する主体が人間である以上、人間の主観から逃れることはできないわけです。だからと言って客観性がない、と言いたいわけでなく、客観性はある限度で保たれ得ますし、その次元で言えば、善悪などの倫理的価値に関しても客観性を保つことは可能である、ということです。なので、「倫理=主観」という解釈は一見もっともらしく見えますが、単なる誤解に過ぎないと言えるでしょう。

>「残留農薬や食品添加物はゼロには出来ないんだから、食紅ぶっかけまくって何が悪い」みたいなもんか。

いえ、違います。そもそも私は客観的に授業を進めることを否定はしていませんので。現代の倫理で解釈して歴史を教える行為を客観的に行えばいいのです。

憑依

>真っ当な歴史学者から全然支持されていない少数説だって両論併記すべきって話ではないのですか?
 
 学者から全然支持されていないものは、少数説ではなくて異説や異端説又は俗説や笑説と言います。
 それにそんな極端なことを言う両論併記なんか誰も話を持ち出していないのですよ。常識で判るはずなのですが・・・?
 どうして先生は勝手に仮想的を創作してまで無意味な攻撃を繰り返すのですか?
 先生が真摯かつ善意でなさっているなら、立論や論証方法が極めて疑問でどこかに欠陥があると思われますし、そうでなければ先生が曲解や誤解誤読それとも不穏当な悪意があったことになってしまいますが、少なくとも後者ではないのでしょう・・・?

憑依

>聖徳太子は蘇我馬子だったとか、邪馬台国はエジプトにあったとか、源義経はモンゴルに逃れてジンギスカンになったとかそりゃいろいろな学説はあるわけですが、そういう異端説が残っている場合にそれらをニュートラルに併記して教えなければならないというのも大変な話ですね。
 
 教師の研修会で子供達に歴史の興味を持たせる方法として
・聖徳太子は蘇我馬子だった
・源義経はモンゴルに逃れてジンギスカンになった
・キリストは日本で没した
という異説に言及して笑いと興味をとるという手法が紹介されていました。
 中学生ですと、先生は今度はどんな爆笑ネタを出すか!と興味津々と授業を聞くようになったそうです。
 高校生では、大学入試や期末試験に出ないオジンギャグは止めてくれ、だったそうですが。

 ただいずれにしろ、いつも極端例でしか反論できない見解というのは、どこかに重大な欠陥があるものですよ。

Hideo_Ogura

 一般論として「歴史的事実認定に争いがあれば、そこは人類の知恵の両論併記です。」と仰る方がおられますので。真っ当な歴史学者から全然支持されていない少数説だって両論併記すべきって話ではないのですか?

U-me

ちなみに小倉さんが例にあげた3つの異端説、いずれも「残ってる」とは言えない状態だと思います(笑)
過去にそう主張した人が存在したのは事実ですけどね。

U-me

>そういう異端説が残っている場合にそれらをニュートラルに併記して教えなければならないというのも大変な話ですね。

それは確かに大変な話ですね~。

で、誰がこんなことを主張してるんでしょうか?小倉さん
こんな議論のシャドーボクシングはいくらやったって小倉さんのご意見が「問題ない」ことにはなりませんよ。

Hideo_Ogura

聖徳太子は蘇我馬子だったとか、邪馬台国はエジプトにあったとか、源義経はモンゴルに逃れてジンギスカンになったとかそりゃいろいろな学説はあるわけですが、そういう異端説が残っている場合にそれらをニュートラルに併記して教えなければならないというのも大変な話ですね。

Hideo_Ogura

ナチスドイツによるユダヤ人の虐殺をテーマにする場合、これをネガティブに捉える側の論理のみを教え、これをポジティブに捉える側の論理と並列させてニュートラルに並列させては教えない教師が、「教師の趣味の押しつけ」であるとか「教師の主観による選択」を行ったとして糾弾されるとしたら、それはおかしいとしか言いようがないように思うのですけどね。

どうも匿名の陰に隠れて他人のブログのコメント欄に粘着することに慣れてしまうと、「為にする議論」を仕掛けるために、常識と乖離した立論を平然としてしまうようになってしまうのではないかという気がしないでもありません。

憑依

>主観性を完全に排することは不可能であるわけで
 
 それは人間世界では当然のことで敢えて指摘することもありません。
 ただ、伊藤博文が暗殺された事実、浅沼稲次郎が暗殺された事実、という事実の客観面は、主観から切り離して客観的に教えることが可能です。1+1=2であって3でも1でもないですから。
 だから、事実認定は価値判断に先行する、という人類の英知が誕生したんですよ。ご存じないですか? 反面教師となった、木を見て「森」を見ない、のはいかがでしょう。

憑依

一服して真面目にレスします。

 歴史は事実を事実として淡々と教えればいい。歴史的事実認定に争いがあれば、そこは人類の知恵の両論併記です。
 『鬼が島鬼退治事件がありました。これをないという説もあります。少なくとも桃太郎が主張する退治鬼数は当時の鬼が島の総鬼口を上回っているのは事実です。退治の証拠だとする挿絵もありますが、これを捏造だという説もあります。』という感じで。

 大事なことは
    事実認定は価値判断に先行する
という歴史学の基本を守ることが必要でしょう。

 あえて価値観を付与したいなら
『風土記等の古文書を解析すると当時の人は鬼が実在すると信じていました。現代の価値観からしたら報復絶倒ですが。』
とすればいいのでは?

 自説に固執するあまり、歴史学の基本的中核概念すら葬り去ろうとするのは、門外漢の雑音に過ぎません。

憑依

たまにはコーヒーブレイクを。
 
>結局のところ、「現代の倫理で解釈して歴史を教えること」はよくない、と非難しておきながら、なぜ「現代の倫理で解釈して歴史を教えること」はよくないのかを誰も説明できずにいるという結果に終わっているようですね。
       Q→A
>一寸法師と桃太郎は強盗(致傷)罪(注1)
>鎌倉幕府~江戸幕府は非民主的軍事独裁政府で民主主義の敵
>かぐや姫は結婚詐欺罪
>水戸黄門は適正手続違反と三権分立違反
>後醍醐天皇は内乱罪
>カチカチ山の主人公は建造物等以外放火罪(注2)
>光源治は児童福祉法違反
 
 笑う門には福来たれり(苦笑

irose

> 教科書、つまりテキストそのものから主観性を完全に排することは不可能であるわけで、そうした主観的なテキストに基づき授業を行う限りにおいて、客観的な授業など誰も行うことはできないからです。

「残留農薬や食品添加物はゼロには出来ないんだから、食紅ぶっかけまくって何が悪い」みたいなもんか。

サスケット

>では、教師が「集団レイプは卑劣である」との「意見」を生徒に対して提示することを一般に「教師の趣味の押しつけ」というかというと、そういう人は現実空間では私は見たことがありません。

そりゃそうでしょう。
その程度の空気を読む能力はたいていの教師であるでしょう。たまに口を滑らす人はいるかもしれませんが、公には現れまい。
そう。
「趣味の押し付け」→「空気を読まない」と翻訳してみたら良いかも。


要するに、一般的にこの手の話題なら自分の意見は他人の意見とそう変わらないだろうな、というものは、変わらないからこそ、空気を読まずに趣味で主張しても「たまたま一致する」。
たまたまだろうがなんだろうが、反対意見が上がらないんだから、問題になるはずがない。これは教師の趣味の押し付けをやったときの例外条件と見たほうがよい。


しかし同様に空気を読まずに自分の意見を出した結果、他人の意見と一致しませんとなれば、そりゃ文句が出る。
どこで一致したのかと。誰がそんなことが共通といったのだと。

炎上ですよ、ごぉぉぉぉ。


空気を呼んで違う意見があるということを理解しているものについては、勝手に個人的思想を交えずにお話してください。
そういう選別が出来ない、空気が読めない痛い教師さんは、奴隷貿易だろうが魔女貿易だろうが、あなたの意見をさしはさむのは全面的におやめください。


といったところでしょう。
下のほうで「あなたの常識が一般の常識?」という言葉がありますが、まさにそのとおりですね。
問題視される教師はまず客観的にそれを考えないといけないね。
教えるにしても、何で反対意見が出るのかとか、そういうところも込みで教えるとためになるんじゃないかとおもうんだけどな。


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