「歴史の教訓を未来に活かす」ためには、歴史的な事象を「現代の倫理で解釈して」教えることも歴史の授業としては有益なのではないかとは思いますし、現代人が歴史的な事象を目の前にして「現代の倫理で解釈」することから完全に逃れることなどできないと思うので、歴史の授業において「現代の倫理で解釈して」教えることをそんなに否定しても仕方ないのではないかと思ったりはします。
歴史の授業において「現代の倫理で解釈して」教えることを批判する見解を披露される方々は、日本の、昭和初期の歴史を対象として想定している場合が多そうなのですが、歴史の授業で取り扱うのは、人類誕生以来の、世界規模での歴史(高校で日本史を選択した場合を除く。)を総合的に含むのであって、私たちは、結局のところ、それらを現在の日本の倫理で解釈してしまうことからは逃れられないわけです(ヨーロッパにおける魔女裁判や、アフリカ人奴隷貿易などは、当時の現地の倫理で解釈したら何らやましいところはないかもしれないけれども、現代の日本でそれを教えることになれば、その反倫理性に言及することがそんなにおかしいのかなあと思ってしまいます。)。
なお、特攻隊員の死が無駄であったか否かという話は、それが戦争の帰趨にどの程度の影響があったのかという話であって、「現代の倫理」との適合性の問題ではないのではないかと思います。「神風特攻」という戦術が妥当であったかという話になると、「倫理」の問題も出てくるとは思うのですが。