控訴審で無期懲役判決を受けた被告人について、検察官控訴がなされ、最高裁から弁論を開くとの通知がなされた場合、当該通知を受けた弁護人としては、最高裁で原判決が破棄され、死刑判決が下される危険が高いと判断することでしょう(弁論が開かれても原判決が破棄されない場合もあるし、原判決が破棄されても、最高裁は基準を定立するだけで、その基準への当てはめについては高裁に行わせる場合もあり得ますので、絶対に原判決を破棄して死刑判決を自判するとは限りません。)。
この場合に、当該弁護人が、自分では荷が重すぎるとして、刑事弁護での実績に定評のあるベテラン弁護士に当該被告人の弁護を引き継ぐように頼み込むというのも、十分理解可能です。また、従前の弁護人から「このままでは死刑判決が下される可能性が高い」と聞かされた被告人が、より定評のある弁護士への変更を申し出たとて、何ら不思議はありません。
そして、かくかくしかじかの事情故弁護人になって頂きたいと頼み込まれた弁護士において、当該事件について既に指定されている弁論期日はもう2週間後に迫っており、しかも、その日には多数の関係者が集まる仕事が既に予定として入っているという場合に、選択肢としては、既に入っている予定をキャンセルするか、又は、その仕事を受けないか、又は、裁判所に期日を変更して頂くくらいしか選択の余地はないといえます。そして、そのようなことを頼まれたら断るわけにはいかないといってこれを引き受ける弁護士を私は高く評価します。
弁論を開くという決定がなされた時点で最高裁は当該被告人を死刑に処すべきであるとの考えをとりあえず抱いている可能性が高いので、弁護人としては、その考えを覆すような、よくよく説得力のある反論をしなければならないことは明らかです。そして、死刑求刑事件の上告審ともなれば、記録の量が膨大であることは想像するに難くないので、それらの記録を丹念に読み込むだけで、相当の時間を要することが予想されます。
したがって、このような状況に置かれた弁護人として、弁論期日の延期を申し出ることは当然といえます。
裁判所としては、このように既に長期にわたっている事件について、今更判決言渡期日が2ヵ月程度のびたところでそれほど本質的な問題はないので、本来、延期申請に応ずるべきであったと言えます。
しかし、裁判所が延期申請に応じなかった場合、弁護人としては、とりあえず2週間でできる範囲内の書面を書いて提出してお茶を濁すという選択肢と、弁護人が出廷しなければ弁論を開けないということを利用して敢えて弁論を欠席するという選択肢があり得ます。
私は、上記のような「究極の選択」を迫られたときに、前者を選択する弁護士より後者を選択する弁護士を高く評価するのですが、そうお考えにならない方も少なくないようです。しかし、後者を選択することは、別に被害者の遺族を侮辱することでもなんでもないと私は思ってしまいます。精一杯被告人を弁護することが被害者の遺族を侮辱することであり許されないことだというのであれば、「弁護士による弁護」というシステムを刑事裁判制度からはずして頂きたいと思います。
【追記】
矢部先生からトラックバックを戴きました。
山口母子殺人事件との関係で「事実でしょうか」と聞かれている部分については、「わからない」としか答えようがありません。現実の事件に関する具体的な事実は知らないので、あくまで一般論として書きました。
山口母子殺人事件との関係でわかっているのは控訴審判決が下されたのが2002年3月14日、最高裁が口頭弁論を開くこととしたのが2005年12月8日です。この間に検察官から上告趣意書が提出され、これに対して弁護側が答弁書を提出したのではないかと思います(私は刑事畑ではなく、検察官から上告を受けた上告審の弁護をやったことがないので、多少間違っているかも知れませんが。)。その結果、最高裁から口頭弁論を開くとの連絡を受けたわけです。それから2006年2月または3月の某日まで、当初の弁護人が何をしていたのかはわかりません。自分で何とかしようと何とか奮闘していたのかも知れないし、自分の力不足を恥じ入り、被告人を何とか死刑から救い出してあげられるかもしれない弁護士を探していたのかも知れません。
あとわかっているのは、それまでの弁護人が辞任し、安田弁護士が弁護人に就任したのが2006年3月6日であり、3ヶ月間の延期申請をしたのが2006年3月7日、弁論期日が開かれる予定だったのが3月14日ということです。仮に、2006年2月に弁護人に就任してほしいとの打診を受けて被告人に接見を行ったとして、弁護人に就任するか否かの決断が3月6日までずれ込んだとしてもそんなに不思議ではないと思います(どちらにしても、3月14日に間に合わせることは難しかったわけですし。)。