被害者の立場から見ると、発信者情報を開示してもらえないということは、インターネット上で行われた権利侵害については法的な権利救済を受ける道が事実上閉ざされるということを意味します。加害者の側から見ると、発信者情報が開示されないということは、インターネット上で権利侵害行為を行っても、法的な責任を負うことを事実上免れるということを意味します。すなわち、発信者情報が開示されない場合、実体法上の不法がまかり通り、被害者は故なき泣き寝入りを強いられるということを意味します。したがって、発信者情報の開示を受けるためのハードルを高く設定するということは、実体法上許されない違法行為がまかり通る機会を、そして、被害者が故なき泣き寝入りを強いられる機会を大きくすることを意味します。それが、司法制度のあり方として妥当でないことはいうまでもありません。
現在の法的制度の最大の問題点は、どこの誰がその情報を発信したのかを確実に追跡するシステムが確立されていないということです。
詳しくいうと、レンタルサーバを利用したウェブサイトや、ブログ、掲示板等においては、ブログ・掲示板等の管理者やレンタルサーバの管理者は当該サーバを利用して情報を発信する者がどこの誰であるのかを把握していません。また、レンタルサーバの管理者はアクセスログを保存する義務を負っておらず、実際多くのレンタルサーバ管理者は中長期的にアクセスログを保存してはいませんので、発信者情報開示請求訴訟が確定するのを待っていてはもちろん、仮処分決定が下りるのを待っていても、その時点では当該発言投稿時のアクセスログが消去されてしまっている危険があります。また、発信者情報の開示を命じる判決が確定した場合でも、開示命令に従わないことのリスクは、せいぜい間接強制金の支払いを命じられるだけです。多重債務者が管理者となっている場合には、事実上強制力がありません。
また、海外の匿名プロクシサーバを経由したりや、国内で無防備に設置されている事務所内(家庭内)無線LANを踏み台にされたり、利用者の身元確認を行っていないインターネットカフェ等を利用したりされれば、サーバの管理者等からIPアドレスの開示を受けることができても、そこから発信者を追跡することはできません。
このような問題点を解消するためには、IPアドレス頼み、アクセスプロバイダ頼みの発信者情報把握システムを改め、全ての特定電気通信役務提供者が自らまたは第三者に委託して当該電気通信設備を利用した情報発信を行う者の個人情報(氏名・住所)を把握し、必要に応じてこれを開示することを義務づける(少なくとも開示しない場合は幇助者として連帯責任を負わせる)等の立法的な措置を講ずることが必要になろうかと思います(登録発行時に本人確認が適性に行われたIDおよびパスワードを活用すれば、かなりの程度発信者情報の把握が可能です。)。また、発信者情報開示命令(仮処分を含む)に応じないことを繰り返すことにより、その管理する特定電気通信設備を介した違法行為を行いやすい環境を整えた特定電気通信役務提供者に対しては、当該特定電気通信設備を介した違法行為の共同正犯ないし幇助犯として刑事罰を科すことも、そろそろ考慮すべきではないかと思います(なお、これは現行法のもとでも可能でしょう。)。
また、開示の条件についてですが、名誉毀損訴訟の場合、実体法では、摘示事実が真実であることを信ずるに相当の事由があることが損害賠償責任を免れるための条件であるにもかかわらず、インターネット上で匿名で名誉毀損をされた場合、名誉毀損訴訟を提起する前提として発信者情報の開示を求めるにあたっては、摘示事実が真実であることを信ずるに相当の事由が発信者の側にないことを被害者が立証しなければなりません。このため、実体法上救済されるべき権利が救済されないという事態を引き起こしています。
発信者情報開示請求というのは被害者が司法的な救済を受けるための前提であるということを重視すれば、むしろ、開示請求者に勝訴する見込みがないとは言えない場合には発信者情報を開示して司法的な救済を受ける機会を与えるべきだと考えます(「裁判を受ける権利」を実質的に保障するために国家が救済を与えるという意味では、発信者情報開示請求制度は訴訟救助制度と共通しており、したがって、訴訟救助を受けられる条件とパラレルに考えるのが合理的です。)。そして、名誉毀損発言については、摘示事実を根拠づける理由が具体的に提示されていない場合または摘示事実とともに提示された具体的な根拠からは当該根拠事実を信ずるに相当の理由ありとは言えない場合には、開示請求者に勝訴する見込みがないとは言えないとして、原則発信者情報の開示を認めるべきではないかと思います。
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